【日本人考】因幡の素兎 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私は日本


日本最古の日本人の作成した歴史資料のうち、現存する長文で日本と日本人の成り立ちを記すものは、古事記である(さらに古い、帝紀、旧辞などは写本も現存せず)。




和銅5年(西暦712年)完成とのことなので、1300年前のことということになる。

さて、ここに出てくる、因幡の素兎(後の稲葉の白兎)の物語を、簡単に説明しよう。

大国主(今は出雲大社に祀られていて、旧日本国王ということになっている)が、因幡の浜で毛がなく肌がぼろぼろになっている兎を見つけた。

これは毛をむしり取られた後に誤った治療をしたからだが、そのインチキ治療を教えたのは、常々大国主をいじめている兄たちであった。

この大国主と兄たちの話は旧約やマヤ神話に似た話があるが、今回のテーマから外れるので別の機会に記したい。



さて、本題に入ろう。

では、なぜウサギは毛をむしり取られてしまったのだろうか。

古事記にはこうある。

隠岐島に住んでいたウサギが、遠くに見える大きな島(本州)に渡りたかった。
しかし、ウサギは海を泳げない。そこで、ワニ(サメのことだろう)を騙して、隠岐島から本州までずらり並んでもらい、自分はその背中をピョンピョン跳んでいこう。
この計画はほぼ成功し、ウサギが本州の陸地に着く間際、ワニを騙したことを告げてバカにした。
怒ったワニは、ウサギが内陸へ向かって跳びはねる直前、その体にかぶり付きウサギの毛を剥ぎ取ったのだった。

この伝説を、こんな風に解釈できる。

遠くの島から本州を目指したとは、朝鮮半島から日本への渡来を意味する。
毛をむしり取られたとは、なんらかの罪に問われ、裸一貫でやってきたことだ。
ワニとは、百済の王仁(ワニ)氏のことだろう。
王仁の教え子に、本来なら大王になる【菟道】もいたし。次期大王予定の菟道は自分の欲求を満たすために、王仁を百済から呼び寄せた。さらに、菟道は自殺ということになっているが、暗殺されたふしがある。




これは、昔私が考えた説だが、どうも違っているようである。


というのは、この因幡の素兎と瓜二つの話が、インドネシアやタイなどにあるからだ。
東南アジアの伝説では、ウサギがシカに、サメがワニ(これはクロコダイルなど、現代語のワニ)になっていたりするが、話の概要は同じである。
なお、この伝説では、ウサギのように毛をむしり取られるのではなく、尻尾を食いちぎられることになっている。
シカの尻尾が短いのは、こうした理由なのだ、という由来伝説なわけである。

こうして見ると、因幡の素兎伝説は、南洋から南西諸島沿いに北上して来た民族が持ち込んだもの、と考えるのが自然ではあるまいか。



出雲、安曇(大国主の次男?で、信州に流された民族の国?)、夷隅(千葉県にある地域。夷は旧日本人、あるいは大国主長男の別名)などは、海洋民族の音を感じる。

多分、大国主は縄文人の血が強い民族で、アイヌあるいは琉球民族に近い気がする。

ちなみに、刺青の風習を記している、通称・魏志倭人伝にある倭人も、これら海洋民族の可能性が高いだろう。




しかし、義務教育のいわゆる魏志倭人伝という表現、なんとかなりませんかね。
いくら短縮が主流の世の中とはいえ。