
あるブロガーさんが山幸彦・海幸彦について書かれていた。
で、なんとなく思い出したことを書いていってみよう。
しかし、最近は他人様の褌を借りての記事が増えてきた。
これもボケかなあ。
古事記にある山幸彦とは、海王の都に渡った伝説のある、浦島太郎の元ネタとなった話の主人公だ。
あと少し詳しく説明すると、天族(天照大御神)直系の男神で、兄は海幸彦である。 また、山幸彦の孫にあたる人物がカムイヤマトイワレヒコ(後に神武天皇と命名)である。
兄・海幸彦の釣り針をなくしてしまった山幸彦は、シオツチノカミ(海流の神)の教えに従い竹籠の舟に乗り、ワタツミノカミ(海王)の都にたどり着きます。
この時、山幸彦は水汲みにやって来た侍女に水を所望したことから、山幸彦はトヨタマビメ(豊玉毘売)に出逢い夫婦となります。
この話の類似伝説は、メラネシア、東南アジアなど広い範囲で見られ、やはり同じ地域にある因幡の素兎伝説とあわせると、古事記の中にある話の由来が分かってきそうです。
ちなみに、カメやウサギという語も、かなり南洋的な言葉に思えます。
(ポリネシア系言語で、ラウメイ→カメ、ムサガ=跳び跳ねるもの→ウサギ)
ところで、メラネシアや東南アジアで旅人が井戸水を所望という設定には、私は疑問が湧きました。
なぜなら、これら地域は亜熱帯、熱帯であり、水は常時雨として存在するからです。
だから、井戸という存在、それを求めるという行為に疑問を持ったのです。
井戸の水が貴重なのは、むしろ乾燥帯。
つまりこれは、中東あたりの砂漠地帯の伝承が伝わったものではないだろうか。
そういえば、旧約聖書に井戸と姫が出てくる話があった気がする。
そんなわけで、旧約をペラペラとめくります。
ありました、ありました。
北島三郎も歌っています。
イサクは木を切る。トントントン、トントントン。
失礼。
これは関係なかった。
話を戻しましょう。
アブラハムの最初の子はイシュマエル(神は聞きたもう)と言いましたが、アラブ人侍女の子のため、やがて正妻サラとの間にイサク(イザアク=神は喜びたもう)という子が生まれると追い出されてしまいます。
この実は弟が家長となる話も、弟の山幸彦が天族の直系となるのに似ていますが、二人の出逢いのきっかけは、男が井戸水を所望することです。
旧約の場合には、イサクの妻を探すべく旅に出たエリアザルという男が、井戸水を汲んでいたレベッカという娘に水を所望します。
このレベッカがやがて、イサクの妻となります。
以上のように、古事記と旧約には次のような共通点があります。
①男が井戸水を所望する。
②水を所望した男と、井戸にいた女が夫婦になるのではなく、その女、あるいはその男を介して結婚が成立する。
③夫婦となった男は、本来は弟で家督権がなかった。
なお、記事には書いていないが、以下の共通点もある。
④水を所望した男は、井戸にいた女に宝物を与えている。
まあ、似た話はあちこちにあるようだが、当時のミコトやタラシヒコあるいは、アマテラスオオミカミなどという言葉に、中東の臭いがプンプンするのである。
何度か記事にしているが、神話などにでる神々の名前を、古エジプトや古中東語などで考えてみよう。
★参考★
アマテラスオオミカミ
→偉大なるマアト(誠、宇宙の真理)に従う、太陽の息子たる偉大な陛下
サルタヒコ
→鼻に特徴ある諸侯
アメノウズメ
→アメン神(神の中の神、隠れし神)より命令を受けた女
タラシヒコ
→太陽の息子たる君
ミコト
→聖油をかけられし者=王
スサノヲ
→導く者
なお、イザナキ、イザナミは東南アジア系神(言語と意味)に思われ、本来は天族ではなかったろう。