
私は幸せ派
韓国で話題の映画を辿るうちに、坂口安吾作品に接する機会を得た。
一昨日、昨日と、懇意にして下さっているブロガーさんが安吾作品を紹介してくれたのである。私は、その一、二文を読んだだけで喉の渇きを覚え、一息に紹介された作品を飲んでしまったのである。
本来ならば、久保田・萬寿を飲むが如く、お猪口にチラチラと口を付け、つつらつつらと味わうべきものだろう。
が、あまりの喉の渇きに我慢が負け、一気飲みをしてしまったのだった。
画面コピーしたから、時間をおいて、今度は竹林に雀でも見ながら飲み直そう。
午後三時過ぎ。
気温は、まだ三十度を超えていた。
しかしながら、私の渇きがその熱気を嫌う気持ちを上回ってもいた。
比較的近所に、DVDレンタルショップがあり、それにぶら下がるように、結構な数のエロ本やらマンガ本を置いてある店がある。
そこには、長い間売れ残っているような古本も並べられている。
相当遠回りにはなるが、ちょうどタバコも切れたところなので、久しぶりに古本屋のドアを開けた。
震度四でバタバタ降ってきそうなほどに、マンガ本が置かれている。
昔来た時と、ずいぶん配置か変わっていた。
「あのう、小説なんかはもう置いてないんですかね」
狭い通路から、レジの奥にいた男に声をかけた。
「ああ、あっちです」
少林寺で酔拳を修行していてもおかしくないような二十歳過ぎの無精髭が、しかし、私の無精髭にいささか目を泳がせながら答えた。
狭い空間にそれらは押し込まれていたが、私にとってはむしろ好都合だった。
以前のようにうなぎの寝床を行き来する必要がなかったからだ。が、同時にいささか不安にもなった。
以前の三分の一以下のスペースになった倉庫に、私の求めるべき相手がいない恐れを感じたからであった。
が、すぐにそれは杞憂であることに気づいた。『さ』行は四、五段の本棚スペースしかない。その中央で、「おい、ジジイ。俺はここにいるぞ」と叫んでいたからである。
わずかに一冊だけだったが、まずは十分だった。
『日本文化私観』、『堕落論』、『教祖の文学』、『不良とキリスト』……。
題名を見ただけで涎が出てきそうな短編を、十数編まとめた単行本だ。
その場で『日本文化私観』を半ページ読んだ。
それだけで、私はかなり酔いが回ってしまった。
深酒すると帰れそうにないから、恨めしげに本を閉じ、本棚をもう一度見渡す。
と、桜井章一という名前が飛び込んできた。
なんと本の題名は『「育てないから」上手くいく』。
はあ?
鬼が、いや、その業界では神が教育論?
意外だった。いや、待てよ、天和や九連の育て方か?
怖いもの見たさに、中を覗いた。
あらら、本当に子どもの育て方を書いてます。
あまりの意外性に、それも自宅で読むことに決めた。
帯には、孫と草花に触れる仏の桜井さんがいます。
うーむ。
常人さへ仏にぞなる。
いはんや、鬼をや。
そう、思った。
すぐ隣には、『私の奴隷になりなさい』があった。 話題の映画の原作だろう。
が、一分弱チラ見しただけで満腹感を覚えたので、これは棚に戻した。
※※※※※※※※※※※※
先ほど、『日本文化私観』をさらりと一舐めした。
これは美味である。
梅と文を創るプロのブロガーさんのおっしゃるように、確かに私好みの味付けだ。
このあと、幾人かのブロガーさんがお薦めの『堕落論』をまずは駆けつけ三杯で飲み、しばらく寝かせてから、もう一度、目と心を楽しませてやろう。
さて、ベトナムコーヒーでも淹れるかな。
安吾には、ベトナムコーヒーがあいそうだ。
