
考えてみると、私は文芸作品と言われるものを読んでいなかったことに、改めて気付いた。
高3の2学期までは美術大学を目指していた私は、洋画の写真や評論はよく見たり読んだりはしていた。
また、数学や自然科学はできなかったが、まだ好きだった頃だから、ショートショートやSFもよく読んだ。
星新一、筒井康隆、アシモフの類いだ。
が、所謂純文学とか、文芸作品とか言われるものは、全くと言ってよいほど読んでいなかったのだ。
文系教科は嫌いだったが、古典は好きだったので、平安頃の作品のつまみ食いはした。が、今考えると、それは自然科学教科の延長上にあるものとして、あるいは推理小説のひとつとして読んでいたような気がする。
社会人になり海外生活を通して日本と日本人の特異性に興味を持ち、多少文芸作品とか呼ばれるものも読むようになったが、それでもほとんどは伝奇小説の類いだったのである。
世間で話題になった大江健三郎は、学生時代に1行数時間、1ページに1週間くらいかかったから、文芸作品が嫌いになったことも強く影響している。
そんなだから、坂口安吾という作家も、名前しか知らなかった。
今回、ゆとり教育を推進した文部科学省のもとキャリアの映画紹介と、韓国での上映という呆れたニュースを知ることにより、angoさん、梅軒さんのブログを通じて、坂口安吾という素晴らしい作家の作品に触れることができた。
久しぶりに言葉に酔った。
芥川の『疑惑』朗読を聴いて以来の、美味い日本語に五臓六腑が喜んだ。
ありがとう!
angoさん、梅軒さん。
そして、こんな素晴らしい作家の作品に出会えるきっかけを作ってくれた、キャリア殿。
あなたの病的・商的なひどい作品が韓国で話題になっていなかったなら、私は一生坂口安吾に出会えませんでした。
Mr.ゆとり教育様。
凡作にもならない、駄作・唾作・妥作・堕作・蛇行作・蛇工作をありがとう。
あなたのような読解をする方が、犯罪的曲解をしてしまう方が、文部科学省のトップ層であったことを知ったことは、ある意味幸せです。
ここに皮肉を目一杯込めて、感謝致します。