そこで、現在私が考えている日本語というものに関して、簡単にまとめてみたい。
まずは、日本語の成り立ちからだが、これを考える場合に避けて通れないものに、日本人とは何かという問題がある。
だから、まずはここから入っていこう。
おそらく現在の日本人は、大陸から樺太、北海道を経てやって来た北方民族、南西諸島を伝わって北上してきたポリネシア系ならびに東南アジア系、さらに朝鮮半島から対馬陸橋(現在は海峡)を経て来たモンゴロイドなどの混血だろう。
神話では高天ヶ原から高千穂(南九州)に降りたった天族が、以前から西日本に住んでいた民族を支配していったということになっている。
また、秦の始皇帝に仕えた徐福が、美男美女を引き連れて和歌山あたりに到着したのが、日本人の起源だとする伝説もある。
さらに、眉唾神話では、富士山麓にあった王国の子孫説、イスラエルの失われた部族説、ムー大陸(現在の科学ではあり得ない)の子孫説など枚挙にいとまがない。
ちなみに私は、シュメール民族末裔説を考えてはいるが、まだまだ妄想小説レベルである。
とにかく、日本民族とは多々の民族の寄せ集めであり、ある程度単一に近い民族となってからは1000年を経ていないかも知れない。
ただ、支配範囲という見方をすれば、九州、四国、北東北を除く本州の大部分は1500年くらい、西日本だけに限れば1700年くらいは、ゆるい繋がりとはいえ、ひとつの連合国に近かっただろう。
古い日本語を考える時には、本居宣長が指摘しているように、後から入ってきた言葉、つまり漢語を除いて考える必要がある。
そのためには、音を表すのに漢字を使ってはいるが、漢字にとらわれずに文字の音に注目することが重要だ。
万葉仮名、あるいは古事記の当て字の音で考えていくわけだ。
そんなことを素人頭でまとめていく。
また、品詞の並び(文の構造)や語尾音、特徴的な名詞、母音などをみていく。
と、文の作りはモンゴル語やトルコ語に、さらに古くはシュメール語に似ていると分かってくる。
また、母音の構成はポリネシア系言語に瓜二つである。
動詞語尾などは、満州語にも類似している。
こう見ていくと、日本語とはポリネシアなど南方系言語に、西アジアからのモンゴルに至る地域の言語が骨になり、その後漢語などが肉付けされたものであろうと予測がつく。
これは、古事記の最初の夫婦神が、イザナギ・イザナミという農耕神であったことも参考になるだろう。
平安ごろになると、東北以北を除けば、旧日本との混血も進み、九州から関東あたりまでは、ほぼ単一民族、かつ方言を無視すれば、ほぼ単一言語になっていったことだろう。
こうした、混血ではあるがほとんど単一になった民族には、文化の違いも少しずつなだらかになり、また、国の方針もあって平面化した環境になっていく。
こうなると、言葉は重要ではあるが、思考が似ているために、あえて明確な言葉を必要としなくなってくる。
いわゆる、以心伝心というものだ。
この感覚は、単一環境にあってこそ成り立つ。
そういう意味では、近年は海という防壁に囲まれた島国日本は、大変恵まれていた。
話さなくても分かるだろう。
目は口ほどに物を言う。
草木ものいふ国。
これら感覚は、島国日本だから発展したものだったろう。
あるいは、コロンブスが来る前のアメリカ大陸だからこそ、生きていた感覚だろう。
この感覚がさらに発展すると、言葉に出すことをタブーとするようになっていく。特に、力のある人に対しては明確な言葉を忌避するのが常識となっていく。
平安時代後期あたりの作品を読めば、それが顕著に表れているのが分かる。
いや、皆さんも古文の訳で苦労したことがあるはずだ。
例えばそれは“給ふ”という言葉。
この意味を理解するのは、推理力がないと無理である。
つまり、給ふには複数の意味(大げさに言えば、すべての動作)を含むため、文脈からの推定が必須となる。もちろん、敬語としての役割も含めてだ。
この感覚が、いまだに私たち日本人には残っていた。
だから、あまりに明確に言葉にするのを避ける傾向にあり、単刀直入はむしろ下品という文化が育っていたのである。
最近は、欧米文化第一ストーリーにのっとって、これらの文化が消える傾向にある。
しかしながら、それでもまだ、日本人の中には玉虫色の言語や言葉にしない思いを慈しむ思いは長く続くであろう。
いや、そうあって欲しいと思うのだ。
ただし、外交においては、これは短所でしかない。
そのあたりも考慮しないで、国内と海外をごちゃ混ぜにする、あるいはしたい人たちがいるから、話はいっそう難しくなるのだ。
日本は草木ものいふ国である。
以心伝心もある。
が、ほとんどの国は、言葉にしないと伝わらない。
このあたりは、きちんと分けて考えないといけないだろう。
と、エセ言語研究者、兼エセ霊感師見習いの私は思うのです。
