
それは、僕が6年生になるすぐ前の冬の終わり。
2月末か3月の初め頃のことだ。
僕の生まれ育った田舎は、冬の明け方は仙台よりはるかに厳しく、時々は-10℃くらいまで下がる。
鉄道のレールが、霜柱で持ち上げられたなどということもあった。
その日の放課後、僕は理科準備室の隣にある学級委員室に入っていた。
もうすぐやってくる『6年生を送る会』で使う、看板の絵を仕上げるためだった。
と、隣の理科準備室からかすかな音が漏れてくる。
理科準備室には骸骨の人形もある。
僕は息をのんだ。
爪先歩きしながら、ガラス越しに理科準備室を覗いた。
と、僕は目を疑った。
赤鬼先生が、ビーカーから白い塊をすくい、ガラス瓶に移していたからだ。
僕には、その白い塊が何なのかは、すぐに分かった。
昨日の実験で、豚肉を細かく切ってアルコールランプで炙りながら取出した脂だ。
豚肉を実験に使うだけというのが、当時の僕たちには贅沢すぎる実験だったし、その取り出した脂がどうなるのかも、少しは気になっていたのだ。
赤鬼先生は、自分のものにしちゃうの?
赤鬼先生は皆に怖がられてはいるが、大声で怒鳴られ頭にげんこつをもらった仲間も自分が悪いことを知っていたから、口では「赤鬼のやろうにまたやられた、チェッ」とは言うものの、けしてそれを恨みには思っていなかったし、むしろ尊敬の目で赤鬼と呼んでいた。もちろん、家に帰って先生に叱られたり、げんこつをもらったことなど言うはずがない。
万が一そんなことを口にしたなら、その十倍のオヤジ、オフクロのげんこつが待っているからだ。
へんな隠し事や嘘には赤鬼になる先生が、ビーカーからこそこそと肉脂を佃か何かの入っていたガラス瓶に移しているのだ。
僕は見てはいけないものを見たような気分になると同時に、自分でもよくわからないモヤモヤした感情が沸き上がってきた。
赤鬼先生は、2個のガラス瓶を紙袋に入れた。
それは、このあたりでは一番大きな隣町のデパートの袋だった。
なぜか僕は、理科準備室のドアから離れ学級委員室のドアを静かに閉めていた。
理科準備室のドアが開き、寒い木の廊下から足音が遠ざかっていった。
僕は下駄箱に行く。
上履きを脱ぎ、ズックに履き替える。
赤鬼先生が、裏門の方に行くのが見えた。
?
赤鬼先生は、なぜ表門から出ないのだろう。
僕の中の小さな、しかし初めての疑念が渦巻く。
僕は、かなり後ろからついていく。
先生は裏門を出ると、右側に曲がった。
あれっ?そっちは行き止まりだけど。
いや、その先には森を不自然に切り開いた四角い平地があり、そこには何棟かの長屋が並んでいた。
コウダンというやつだった。
そのあたりでは唯一の、コウダンという長い家だ。
庭や畑はなく、洗濯竿をかけるY字の棒ばかりが目立っている。
赤鬼先生は、コウダンじゃねえのに……。
あっ、そういえば……。
僕は、クラスで、いや学年でも唯一コウダンにいるM子のことを思い出した。
いつも油で光ったような、かなり大きめのガベガベのジャンパーを着ていた。
女の子ではなくとも、黒っぽい厚いジャンパーは、田舎ではかなり珍しかった。
M子はいつも鼻水を垂らしていたから、ジャンパーがガベガベなのはそのせいかな、とも思ったりはしていた。
また、あまり近くで見たことはないが、その指は、いや手のひらまでも、霜焼けかあかぎれかわからないが、とにかくひびがはいり、カサカサしているのは知っていた。
特に冬場はそれが目立ち、手の先から白いものがパラパラと落ちるようにさえ思えた。
ふと気付くと、デパート袋を手にしたおばちゃんが、赤鬼に何度も深々と頭を下げているのが見えた。
春が近いとはいえ、日が西に傾き始めている。
僕はあわてて来た道を戻り、家路についた。
その翌日。
M子が珍しく、笑顔を見せている。
いや、そう見えた。
あるいは、いつものように口を開けながら、遠くを眺め鼻水を垂らしていたかも知れない。
が、僕ははっきり見た。
M子のカサカサであるはずの手が、光って見えたのを。
それはあかぎれを隠すことはできなかったが、カサカサとした皮膚の泣き声を止めるには十分な潤いだった。
同時に僕は生まれ初めて味わう感情をどうしてよいか分からず、思い切り大声を出したくなった。
バカヤロー、バカヤロー。
僕のオオバカヤロー。
赤鬼がガラス瓶詰めしているのを見ていたときの自分を、僕は思い切り殴っていたのだった。
おわり。

ネジバナ
ネジレンボウとも呼ばれるが、上から見るとまん丸に近い。

ブラック・アイと呼ばれる植物の近縁。
これはイエロー・アイだ。