その時前後の自分の記事を見てみる。
私はその2日前、つまり3月9日に起こった三陸沖地震を本震ととらえ、いささか場所は予想されたところ、規模ではないが、比較的軽微な被害でよかったという印象を持っている。
それが前震であったとは考えていなかったのだ。
また、私にとっては見たことのない関東付近の異常な動きは、2010年後半から時々記事にしていた。
おそらくあれは、三陸南東で起こった地震に連動して茨城東岸で発生した地震の前兆だったのだろう。
あの時私は、平均的なオフィスビルなら10階に相当する倉庫のような建物の5階にいた。
緊急地震警報が鳴り、すぐに私はハイネット情報を見る。
暫定M8オーバー。
バカな!と思った。
そんなやつがあり得るか。
と、思った瞬間、大きく長い揺れに襲われる。
まずい。M8オーバーは本当だ。 これは大変なことになる。万人単位の被害だ。すぐに自衛隊だ。
そんな考えが駆け巡った。
まだテレビは被害状況もわからず、隣の同僚は万単位の被害との私の話をあきれ顔で見た。
数日後に、それが現実と知ることになるが。
当日は帰宅できず、そのビルに泊まる。
また、少し後になるが、避難距離半径2キロだか3キロだかという政府発表に、「単位が違うだろう!何をバカなことを!」そう怒りを声にしてしまい、周りを驚かせてしまったりしていた。
国会議事堂での仕分けマリオネット好きな方からは、かなり変な目で見られた気がする。
あれから丸2年。
三陸海岸は、いまだに復興どころか、ガレキ以外何もない浜が続くという。
政権も変わった。
前政権の作ってしまった穴埋めには、相当な時間がかかるだろう。
とにかく、穴が多いだけでなく、見えない穴もありそうだから。
反政府の町長さんが首相になどなると、ろくなことはない。
だいたい、国会議員でいられること自体が異常であり、不思議だ。選んだ選挙区の人たちの考えが理解できない。
それはさておき、まずは被災者の方々に、安心して住める場所を提供するのが先決だろう。
私は、そう思う。
