つまり、お姫さま方の祭りということになろう。
そこで今日は、雛祭りのヒナという言葉の考察をしてみたい。明日あたりはヒメについて考えよう。
まず今日は、ヒナである。
古語でヒナとは、都に対する田舎という意味のヒナ(鄙)があるが、雛祭りのヒナとは違う。
ヒナは古くはヒイナであり、さらに古くはヒヒナと書かれている。古代のハ行音はファ行、またはパ行音に近かった可能性が高いから、これはピピナに近い音だったろう。
ピピやチィチィの音は、かなり広い範囲で小鳥を意味する言葉に近い。
つまり、雛とは小鳥のことであり、実際に現在でも日本語でヒナは幼鳥を意味する。
雛祭りは古くは『ひひな遊び』と言われていた。
つまり、祭りというよりは子どもの遊びであった可能性が高い。
ただし、定説では、雛など人形は呪術に関与し、『あそぶ』とは『祭る』と同じ意味ととらえている。
健康を祈って、人形に病気を肩代わりしてもらうという考え方だ。
だから、雛祭りの雛人形は悪霊を宿した身代わりだから、本来は川などに流すべきものであったようだ。
鳥取県などでは、今なおこの風習が残っていると聞く。
現在のような雛壇飾りの歴史は浅く、どうも江戸時代あたりからできた風習のようだ。
なお、流し雛に似た祭りが、タイにある。
ロイカトーンというが、これは悪霊などを花飾りをつけたバナナの舟に載せて川に流すもの。 ただし、この風習はどうもあまり古くから行われていたものではないようだ。
また、時期も11月頃である。
またタイには、現在は4月に行われるタイ最大の祭り、ソンクラーンがある。
ソンクラーンは、もともとは旧正月に行われていたもののようだ。
最近はすっかり水祭りになってしまったが、本来は新年の禊ぎ(みそぎ→心身ともに清める)であったようである。
雛祭りは、古くから日本にあったソンクラーンに似た春先の禊ぎと、大陸から伝わった節思想が合体して生まれたものであろう。
★これは私の説であり、学界などの定説ではありません。

さらに妄想を発展させてみよう。
雛祭りとは、実は鄙祭りなのだ。
つまり、都落ちさせられた貴族たちが、鄙びた田舎で都を懐かしんで帝やら官女の人形をつくり、ふっとため息をついたのである。
また、こんな由来もでっち上げできる。
ピピナ、つまり桃の木などにやってくる小鳥たちを見て、子どもたちが始めた遊びを大人の世界に輸入し、現在の形になったのだと。
しかし、これらの説は無理が多いだけでなく、推測ばかりで可能性は極めて低い。
やはり、春先の禊ぎと大陸思想の合体が、はるかに可能性が高い。
余談だが、北東北地方に残るおしら様は、信州などの蚕神の要素より、雛に似た要素が多いと思う。
おしら様はおそらく、東南アジアを経由した中東発祥のものだろう。
おしら様のsirは蛇である。
sirは現代日本語でも、蛇の擬音語(あるいは擬態語)である、シュルシュルという言葉で生き延びている。