あのころふたりのあぱあとは
[あのこ]特定の人物だが、固有名詞出すと問題が生じるために、指示代名詞[あの子]としたのだろう。
[ろふた]は、路豚の清音化。まるで畜舎から逃げ出した豚のようだと卑下した表現。
[の]='s。
[あぱ]は、幼児言葉(普通名詞)で[パパ]つまり、おとうちゃん程度の意味だが、ここではダディ、男性の恋人に対する愛称である。
[あとは]最初の[あぱ]ボーイフレンドの後はということ。つまり、本命ではなく2番手、予備の彼。 リザーブ、アッシーとも言われた(古語辞典を見よ)。
はだかでんきゅうまぶしくて
[はだかで]字の如く、裸での意味。単に身体的状態を意味するだけではなく、心理的表現でもある。つまり、本命の彼には言えない苦悩を話せるということ。
[んきゅう]もろきゅうに似た器官の略語あるいは隠語。長く棒状のものである。
[まぶ]本当の、ということ。マブダチという言葉もある。[まぶ]は形容詞や形容動詞と間違われることが多いが、マブダチなどと使う場合には連体詞である。これはよく試験に出る問題だから、しっかり覚えておこう。
[しくて]現在の日本語に同じ。[四苦て]である。 経済的にだけでなく、大変辛い思いを表現している。 常にリザーブで使い捨てでは辛かろう。 一説に何らかの病にかかり苦しむ様子であり、[しくしくして]の略とある。こうしたオノマトペ言語は、古朝鮮語からの輸入が多い。特に擬音語にそれがはっきり現れており、先サムライ遺跡の壁画にある万葉集に顕著である。
四苦八苦という古語もある。かなり淋しい病かも知れない(詳しくは、日和見感染と淋しい病の項を見よ)。
[まぶしくて]で、本当に辛い様子を表現。
かもつれっしゃがとおるとゆれた
[かもつれ]鴨を連れてきての意味。つまり、経済的なフォローをする者を引き込みということ。
[しゃがと]しゃがんでの意。腰を低くして。博多弁が北海道・小樽弁と混交しなまったもの。
[おると]そこに居ること。やはり博多弁だが、オルトortho(すぐ隣に)との掛詞でもある(参照→メタmeta=1つ間を置いて、パラpara=反対側の)。
この掛詞もよく出題される。
[ゆれた]2番手の男とはいえ、病などに苦しむ者がすぐ近くにいるので、[心が揺れた]のだろう。あるいは、パトロン(鴨)を引き連れて来たので、そうした素振りをしているのだろう。
[幽霊多]との解釈は誤り。
ふたりににあいのへやでした
[ふたり]ほてり、またはほと・りのなまり?身体が熱くなること。ほととは、特に熱くなる部位(古事記を参照せよ)。
[り]は[み][さ]同様、本来は用言連用形に接続する助詞だったが、一体化して名詞になった。
[ににあいの]2に愛の。つまり、お互いに愛しあうということ(参考:22=にゃんにゃん→猫が2匹で仲良くじゃれあう様子を見てひがみ、テレビ映画の世界に逃避すること→君らにゃんにゃん、僕WOWWOW)
[へやで・した]文字通り、部屋で愛しあったということ。なお、[した]は[する]または[す](サ行変格活用の連用形)。北東北では古来の活用通り、[すた]となる。
おぼえてますかさむいよる
[おぼ]は、ほと、ももに同じく、北九州放送自粛用語(博多弁隠語の派生語→ジャイアント馬場のブラジル出身ライバルを参照せよ)。
[えて]上手なこと(江戸弁)。得意とすること。
[ますかさ]まつかさの誤記であろう。江戸下町では[ひ]が[し]に変音する。これと同じであろう。
[むいよる]むきますのイ音便化(土佐弁が豊後の国に渡り、備前の国で定着したらしい)。 または、無為な夜。
あかちょうちんにさそわれて
[あかちょう]女性を燃える蝶にたとえている。
[ちんに]男性の身体の一部。
[さそわれて]そのままの意味。ただし、当時は能動態と受動態の区別が曖昧だったから、この場合は自ら誘っているのかも知れない(参照:古事記→イザナミ=誘な女、サロメ=誘ろ女)
おでんをたくさんかいました
[おでんを]臀部、つまりおしりのこと。(注)チクワとの説あり(派生語:しりあい=尻会い)。
[たくさんかいました]多数との交友を示唆か?
[かい]はかきのイ音便説あり。その場合だと内容が全く変わり、2番手はやはり2番手の待遇しか受けられない、哀れな歌になる。
つきにいちどのぜいたくだけど
[つきにいちどのぜ]月に一度の肯(ぜ)。つまり、リザーブには月に一度くらいのOK.サービスだけということ。
[いたく]①痛く②委託③たいへん などの説があり、まだ定説はない。
[だけど]猛怒である。たまにのことに興奮している様子。形容動詞の名詞化。
おさけもちょっぴりのんだわね
[おさ]主あるいは長であり、普通名詞としても使われるが、ここではあなたという代名詞。
[けもち]気持ちのなまり。
[っぴりの]雷(ピリカ→蝦夷弁)の、の意味で、おそらく月に一度のめでたさに猛々しく、雷神のようになったさまであろう。
[んだ]そうですよ、のなまり(津軽弁)。
[わね]私も(弥生弁)。
なお、[ね]は、[さ](古出雲弁)を省略したものとの説が、妖艶学会で発表されているが、出典は不詳。
つまりこれは、日本の北端と南端から出てきた男女の不遇な出逢いと、いまひとつ満たされぬ愛の歌である。
★今回は非常にアカデミックな内容で、かなり難しかったかも知れない。
なお、この研究論文は、来年(宇宙歴1,919,184年)の、古代歌研究会で発表予定である。
宇宙連邦オリオン腕太陽教室の受験生には、特別の賄賂をもってお伝えする次第である。