
[素]と言ったら、稲羽の素兎だろうか。
童話などでは、あるいは最近は大人向け雑誌にも“因幡の白兎”のように、白いウサギにしてしまっている。が、古事記写本では“稲羽の素兎”だ。
現在は当たり前になった白兎だが、これはアルビノのウサギが世界に広まったものだろうから、太古に年中白い毛に被われた白兎がいたのかどうかは、非常に疑問だ。
冬に毛が白く生え変わる獣は多いが、稲羽の素兎の話はガマの穂が出てくるから夏から秋のはず。
まあ、それは置いておき、本題に入ろう。
[除]という漢字は、輸入されたときには、除くという意味で使われていたと思われる。
例えば、除霊のような言葉として使われていた。
昔は霊という物理的な存在を信じていただろうから、霊を除くことは重要であったろう。
現在の科学では、霊の存在は物理的なものではなく、心理的なものだから、除霊作業とは経済行為のひとつ、あるいはカウンセリングのひとつだろう。
これは現在は当たり前になっている天気予報を、気象衛星や各地域のデータから推測するが、かつては下駄を投げて明日の天気を占うことに似ている。
あるいは、てるてる坊主を作り、それで明日晴れることを願うことに似ている。
それ自体は微笑ましい行為だ。
年末に、サンタクロース姿のアルバイトが増える。
まあ、そんなところだろう。
ここまでは良い。
が、サンタクロースがプレゼントを持って来ないのは自分が悪いと教育する。
これはおかしい。
サンタクロースの実体は、家族であったり友人であったり、あるいはボランティアの方々だったりするわけだから。
なお、最近の日本では[除]の意味が変わってきたようだ。
[除]とは、見えないようにする。つまり、隠してしまうと同義語らしい使われ方をしている。
原発事件事故以後の、除染がその代表だろう。
放射性物質の除染
→体内からの排出なら多少理解できるが、放射性物質の除染ができたら、ノーベル賞100個ものです。
放射線の除染
→放射線からの防御やらはともかく、これができたら、ノーベル賞1万個ものです。
放射能の除染
→哲学的表現で何を言おうとしているのか意味不明ですが、もしできたら、ノーベル賞1億個でも足りないでしょうね。
なお、少ししたら、[浄]についても考えてみたい。