元歌
田子の浦ゆうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
★ゆ→~から(一部写本では、[田子の浦に])
★白妙の→一部写本では[真白にぞ]
→係り結びで[降りける]
★コピー歌 1
蛸の腕を 茹で出だしみれば 皺多々の 節のたわわや むきてこそはめ
★コピー歌 2
滝の裏に 内入り見れば 白糸の 藤の蔓根に 飛沫降りつつ
★芭蕉『奥の細道』に、日光・裏見の滝の句あり
→しばらくは 滝にこもるや 夏(げ)の初(はじめ)
★コピー歌 3
多胡の村ゆ うち出で行けば 御代田(みよた)への 路地のつづらに 雪は降りつつ
★多胡→群馬県高崎にあった地名。日本三大古碑のひとつ『多胡碑』がある。
★御代田→浅間山山麓の村。ヤマトタケルは、笠間(茨城県)から御代田を抜けて山梨へ移動した。
これは、当時関東平野が大部分海か湿地だったためだ。ヤマトタケル時代には、石油や石炭を使ってはいなかったが、地球は現在よりはるかに温暖で、現在の標高5、60メートルの地域まで海が広がっていた。
その後、原発を利用したわけでもないし、二酸化炭素規制をしたわけでもないが、徐々に地球は寒冷化し極地方の海が氷結。これにより陸地が増え、現在に至っている。
コピー歌 4
袂(たもと)裏を 打ち返しすれば 真白にぞ 俸(ふち)の高値に よきに売れける