『建国記念の日』 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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今日は戦前の紀元節。今風に言えば建国記念の日だ。
建国記念日としないのは、ご承知の通り、日本という国がいつ誕生したのか分からないからだろう。

つまり、世界の多くの国々のように、独立したりした明確な日付が分からないわけだ。

だから、建国記念の日とした。
私にとっては、こうした長い歴史を持つ日本の建国記念の日は、日付などはどうでもよいと思っている。
しかし、こうした日を設けることに否定的なわけではない。むしろ、積極的な方だろう。



建国記念の日を機に、日本の歴代天皇などについて、私の考えを述べてみたい。

歴史に詳しい方には笑われる内容になってしまうだろうが、理系の頭で考えてみよう。

なお、見方によっては不敬にあたる(戦前なら明らかに不敬罪に抵触)かも知れない。が、私は天皇制を否定するものではなく、むしろ現在ある形の天皇制継続を願うものであることを、まずは述べておく。




建国記念の日の元になった紀元節は、初代天皇である神武天皇の日本統一(この場合の日本とは、主に畿内)を記念して、旧歴の元日、新歴の2月11日としたものらしい。

が、残念ながら神武天皇という存在はあり得ない。

なぜあり得ないかは、日本書記やら古事記を読めば明白である。もし、日本書記やら古事記の神武天皇のご先祖様の系譜を事実と捉えるなら、それこそ不敬であろう。


かつては旧辞とか帝紀なる書物があったようだが、新しい歴史書である日本書紀編纂前に処分されてしまっている。

おそらくこれには、日本書紀や古事記に載っていない、あるいは載せてはいけない内容が記載されていたろう。写本の類はおろか口伝さえ消えてしまった今は、その内容は推測するすべがない。



神武から開化までの9代は架空で、10代崇神は神武と同一人物かも知れない。
いや、ひょっとしたら16代応神もまた、神武かも知れない。

応神以降は実在の大王の可能性が高いが、現在の天皇家とのつながりは不明だ。


私の考えでは、現在の天皇の系譜がほぼつながるのは、欽明以降と思っている。

応神王朝は、武烈あたりで途絶えたのではあるまいか。
だいたい、武烈なる名称は大陸の王を模した感が否めない。そのすぐ後の継体という後付けされた名前も意味深長であるし、継体の北陸から畿内への移動期間も異常だ。

天皇家の流れは一時、天武によりあやうくなり、今に至る歴史に改変されたが、今は天武系からは離れている。


このあたりは相当奥が深そうだ。


知らない人もいるかも知れないが、初代神武から天武あたりまでは、後で付けられた名前である。

つまり、万が一神武や仁徳に比定できる人物が存在したとしても、その人は神武天皇とか仁徳天皇と呼ばれたことはなかった。


これは、3000年前にいた日本人が、自分たちを縄文人とは呼ばなかったことと同じである。


また、鎌倉初期から江戸後期までの約600年間も、天皇という名前は使われていない。


天皇とは、昔からずっと象徴的存在であり、天皇自体が行動する、あるいは指示するということは、長い日本の歴史の中でも、ほとんどない。



天皇に関してわけの分からないことを言う方々は、あと少し歴史を学んで欲しい。



もっとも、歴史大嫌いだった私は、教科書や授業、新聞やテレビニュースが事実と信じて疑わなかったから、最近までは南京大虐殺を事実と思っていた、やはり歴史音痴だが。




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日本のマスメディアと教育をなんとかしないと、この記事の前に書いたような未来がやって来てしまう。