私にはなかなか使えない言葉がある。それは仕事でも同じなのだが、決めつけてしまう言い方である。
いや、勘違いしないで欲しい。仕事の方針やら目標は決めつけて当たり前だろう。これがぐらついたら、全体がこんにゃくやら豆腐になってしまう。
ここでいう決めつけとは、物事に対する見方や考え方、方法などだ。
例えば、この薬は絶対に効きますとか、100%合格しますとかいったことだ。
私のような臆病者には、これらの言葉は恐ろしくて、めったに使えない。
「完璧ですね?」
に、私などは「いや、完璧ではありません。ただし可能性は高いでしょうね」
などと答えてしまう。 となると、一部には「自信がない」ということになるのだろうか。このあたりは私には理解できない。
正しいとか正義とかも同様だ。
何を根拠に正しいと言えるのかが、さっぱり理解できないこともある。
例えば、『正しい●●の仕方』とかいう小説があるが、なんで正しいと言い切れるのかが記載されていない。
リンゴ2個と3個を足したら5個になるとする。これを正しい算数の足し算とする。
こうした前提があれば、これは言い切っても問題なかろうと思われる。
しかし、あなたの心があと2割高くなれば初段だとか言われても、さっぱり理解できない。
だいたい心が何割高くなるだの、心の段位だのが理解できない。
さらに、そうした理解できない方の上段者が言うのだから、絶対だとか正しい方法だとか言われてもまるで分からない。
まあ、小説を売るための宣伝というなら理解できるが。
心の問題を救うのは、おそらく自分であり、家族であり、友であり、医者であり、自然だろう。
人の弱みにつけこむんで「正しい」と力説するのは、商売だろうね。
また、そうした商売と分かっていて、それを支えるのも、やはり同罪だろうな。
正しいと信じることは勝手だが、貧しい、あるいは悩みを抱えている人々から盗みを働くに類似した商売は、私は好きになれません。
それよりはまだ、とんでもない金持ちを騙す方が、少しは理解できます。
でも、多くの場合、そんな弱いもの相手に金を引き出す方々は私同様臆病でしょうから、たぶん金持ちやら権力がありそうな人は対象とせず、あくまでも弱く泣き寝入りしそうな、弱くおとなしい相手しか商売をしないでしょう。
ただし、世の中には予想が外れることもあるでしょうね。
参考
いやあ、昨日は汗かく暑い1日でしたね。
オイミヤコン出身の彼は、-10度の中、上着を脱いだ。
今朝のオイミヤコンは-53度。
暑いとか寒いとかいう感覚でさえ、十人十色。
ましてや、正しいだの正義だのは、人間の数と同じくらい多種多様だろう。