間違い満載の食べ物記事 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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これから食文化の記事を書こうと思っています。


が、各項目に最低1ヵ所は、あり得ない内容を入れます。

さて、どこがおかしいか分かりますか?
★間違いの根拠はほぼ皆同じであり、単純です。中学受験生ならば、全問正解するかも知れません。



1 ……。このように3世紀前後のローマ市民は、けして自由な市民ばかりではなかった。
彼らの多くは、トマトにクズ肉を混ぜて煮込みパスタを浸して食べる、つまりスパゲッティミートソースのようなものを腹に詰めるのが精一杯であり、とても普通の肉料理は口に入らなかったのである。






2 ……。こうして倭国は朝鮮半島にあった植民地を失うことになる。

後に百済もまた、姿を消していく。仏教が伝わったのは百済との説があるが、あるいは新羅だった可能性もある。新羅からは多くのハニ(陶器)技師、ならびに建設技師らが渡来し、主に関東に帰化して行った。
キムチもまた、これら百済あるいは新羅を経由して伝わったのだろう。

関西では塩を含むものに辛いと言う表現をするが、関東では塩っぱいと辛いは、明らかに異なる味わいを意味する。 キムチなど唐辛子の辛さと、塩の塩辛さを区別しているのは、おそらくこうした東国での帰化人の影響も考えられる。










3 ……。が、さすがに紳士淑女の国と自負するだけあり、イングランドは食事作法にもかなりうるさかったようだ。
スペインの無敵艦隊を破る(1588年)記念すべき年のおよそ200年前には、既にフォークとナイフの使い方を書いた書物があったようである。







4 平清盛の好物は干し葡萄と麻婆豆腐であった。
干し葡萄の甘味は、それまでにない極楽浄土の味に思えた。麻婆豆腐のピリッとした辛さは、山椒やしょうがの刺激しか知らない舌に驚きを与えてくれた。








5 このように仏教が盛んになる前は、日本人もかなりの肉食だったし、一部の貴族階級とはいえ、乳製品も口にすることがあった。
今でも『醍醐味』という言葉があるが、この醍醐とはチーズのようなものであったようである。
また、美味しさを『旨味』とも言う。旨という漢字は、脂という漢字のつくりだ。 昔は植物油の生産性が低く、油脂は貴重品であった。
当然ながら、トロなどはかなり高く扱われ、吉原あたりでもお大尽への珍味として出されていた。








6 幕閣にありながら明治政府でも重用された勝海舟は、幼い時にキャンキャンなく犬にキャンキャンタマをかじられている。

この海舟の父を小吉という。小吉は、塩断ちを誓ったことがあるという話がある。
塩断ちとは、塩分を控え高血圧になることを予防するもので、今風にいえば昔から人気のある健康法である。