占いの職能化、分化が進んでくると、それを模倣する者が現れてくる。
つまり、エセ占い師の誕生だ。
でも、ちょっと待て。
“本物の”占いとか占い師とはなんだろうか?
実は占いに、本物も偽物もない。
占いというは、言葉に語弊があるやも知れないが、ないものをあるの如く話すものである。
おそらく高名な占い師ほど、占いなど信じてはいまい。
仮に占いを信じる占い師がいたなら、それは2流以下だろう。
では、なぜそんな眉唾ものの占いが消えることはないのか?
それは、それなりの必要性があるからだ。
現在の占いは問題外だが、20世紀末までの古典的占いならば、ある程度有効性や必要性があると私も思っている。
20紀末までの高名な占い師とは、経験に富み、観察力がするどい心理学者だったからだ。
今でも、インターネット経由の占い師を除外すれば、評判の良い手相師や顔相占い師は、感情線がどうだとかほくろの位置がどうのだとかは見ていない。
いや、より正しくは見ていても、それを占いの判断基準にはしない。
そうしたものは、相手への説明手段にすぎない。
観方を変えれば、そうしたものを使うことにより、相手へのダメージを和らげている。 一方で、これを利用し脅迫を行う、ステルス兵器ともなるが。
2流ではない、あるいは見習いや形にとらわれる妄想占い師でない限り、手相やら顔相の意味合いの知識はあっても、それを相談相手への判断材料にはしない。先に述べたように、それら知識はあくまでも相手への説明手段でしかないからだ。
対面式占い師の観るのは、相談者の立ち居振る舞い、話し方、聴き方、訊き方、表情の変化、掌や顔に限らず、体型、瞳、足回り、持ち物、髪……など、幾多もある。
それらを観察し、長い経験、あるいは知識から、相手に妥当だと思われるアドバイスを行っていく。
だから、古典的な占い師とは、統計学者であり心理学者。まあ、今風に言うならばメンタルケアアドバイザー、あるいはカウンセラーである。
ただし、そうしたものから相手の弱みを見いだし、何らかの金品を出させる、一部の詐欺師、霊感商法を専門とする犯罪もあるだろう。
つづく