
その社長は引っ越すというだけで国を代表する新聞に載ったり、自らハンドルを握って事実上の皇帝である首相の館に入れるくらいの方だったから、私などでさえタクシーに乗って行きたい会社を告げると代金をまけてくれたりするくらい、その国では当時最も知られていた日本人だったかも知れない。
グループ社長・会長を差し置いて、A新聞一面の“ひと”欄とかいうのに載るような方だった。
その社長に次いで皆に愛されていたのが、ぽっちゃり系のQちゃんだったろう。
かの国に入ってしばらくして、私はQちゃんと同じ部屋で働くことになる。
Qちゃんはちょっと汗かきで、常にベビーパウダーを首筋に塗りたくっていた。
体型や顔に反して男まさりの彼女は、キャンティーンでは何人もの男性に取り囲まれ、スコール後の青空のようだった。
彼女と同じ部屋で働いて、1年くらい経った頃だろうか。
仕事が深夜に及び、部屋に彼女と2人だけになってしまったことがある。
いくら世界屈指の安全な警察国家でも、深夜にうら若き女性を1人タクシーで帰らせることには不安があった。
Qちゃん、家まで送るよ。
私は気楽に声をかけた。
が、彼女には珍しく生返事。
もじもじしている。
いいから、一緒に帰ろう。大丈夫。狼にはならないから。
そんなことを言った気がする。
ドアを閉め、エンジンをかける。
で、どっち?
……。
えっ?
訊き返す。
絞り出すような声から、極めてよく知る地名が出てくる。そこで、それまでの疑問が解けた。
当時流行っていた中森明菜の歌の歌詞にも似たそこは、若い駐在員の間では最も知られている場所でもあったからだ。
しかしながら、その地がすべてがそういう場所であるわけではないのは当然だ。
が、やはり口に出しにくかったのだろう。
だから私は、耳を空気にしてアクセルを踏んた。
車の中のQちゃんは、昼間に見る風を切って会社を走り回る彼女ではなく、青菜に塩になっていた。
それから1、2年後のことだ。
私はその国から少し離れた、サバイサバイ国に異動となる。
その時彼女から、餞別に1組のスプーンセットをもらった。
その意味が何なのかは知らない。
私の中では、Qちゃんは人前で機関銃を打つような強い女ではなく、あくまでもしおらしい女性との印象がある。
その後Qちゃんは会社を辞め、今はビクトリア国あたりに住んでいるらしい。
Qちゃんと言ったなら、機関銃とセーラー服、豪快な笑顔を思い浮かべる方が多いに違いない。
が、私には、少しばかりメロウな記憶が甦るのである。
最近は昔話が増えてきた。
あるいは、何が近いのかいなあ?
いや、いまだに煩悩が103個くらいある私は、あちらに行く気などさらさらない。
そういえば、私がサバイサバイ国に異動になる頃には、Qちゃんの首筋のベビーパウダーが消え、うっすらとスズランの匂いを漂わせるようになっていた。
たぶん、アナイス・アナイスあたりだろう。
おそらく、ゲランのミツコではないと思う。
と知ったようなことを書いたが、実のところNo.5とNo.42の違いさえ分からない。