
いやあ、今回のノーベル賞は素直に嬉しかった。
あの電気泳動でのノーベル賞も感激したが、今回も素晴らしい。
比較的身近なところにイグ・ノーベル賞を受賞された方もいるが、そちらとは少し違う。いや、かなり違っているか?
さて、今夜は時代が時代ならそのノーベル物理学賞をもらえたであろう機械工学のプロ、解剖学者、あるいは異端宗教の主の話だ。
とはいえ、一般的には画家として知られているが。
その人物は、私が最も好きな、また実物を見て震えがきた絵である『岩窟の聖母』の作者、ダ・ヴィンチである。
勿体ぶった表現をしたが、早い話が昨日の続編だ。
昨夜のコメント返しにも書いたが、ダ・ヴィンチの絵の多くは謎の山。
まるで、ディズニーランドか大陸の歴史のようだ。
おっと、話が脇道にそれてしまう。危ない、危ない。
では、本論に入ろう。
西洋などでは、中指を立てることは相手を侮辱する仕草であり、相手によっては頬を強めに撫でられてしまうだろう。
ところが、ダ・ヴィンチはこれに似た仕草をする人物を、あちこちに描いている。
例えばこれだ。

中指ではなく人差し指だが、これはどう見ても相手を尊敬する仕草とは思えない。
さて、ではその先にいるのは誰だろうか。
驚くなかれ。
この方である。

ダ・ヴィンチのひね具合について知っている方なら驚かないだろうが、ダ・ヴィンチは多くの宗教画を描いているから、敬虔なクリスチャンだろうと思われている方には、かなりの驚きかも知れない。
こんな絵が、あちこちにある。次はこんなやつだ。

通称『モナリザ』の近くに飾られているこの絵は、実に妖しい雰囲気を醸し出している。
そして、あの指だ。
さらにその先に見えるのは!

写真だと分かりにくいかも知れないが、ぼんやりと、しかしはっきりと分かる十字が見える。
これは十字を指し示しているという解釈もできるが、全く反対の解釈も可能だ。
さらに、この手の不思議は続く。

これは聖母マリアとアンナの絵だ。
実に微笑ましく穏やかな絵だ。
が、ここにもある。あの指を持つ手が。

この類いの絵にはふさわしくない、不気味な手だ。
かつ、ダ・ヴィンチはあえてこの部分だけは素描のままである。
これは何を意味するのだろうか。
それを理解するには、かなり深く当時の宗教を学ぶ必要がありそうだ。
疲れたからこのあたりで。
★この文章のコピーは控えてね。
一応、しま爺に著作権がありやす。
なーんてね。
そんなたいした話じゃありませんが、たぶんこの話は本などには載っていないはず。
では明日もまた、ダ・ヴィンチの不思議に迫ります。
まっ、いつものように、気分が変わって、全然違ったことを書くかも知れませんが。