
私はいると思う派
幽霊ですか?
いるんじゃないですかね。
ただし、人間の頭の中だけでしょうが。
さて、その幽霊と関係あるようなないような話。
毎月28日はお不動さん。つまり、不動明王の縁日です。
不動明王と言ったら高野山。高野山と言ったら空海、または弘法大師とも呼ばれているお坊さん。
で、弘法大師と言ったら、達筆。
でも、私は筆を見る能力がないためでしょうね。弘法大師より行成あたりの筆のが上手く見えてしまいます。
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幽霊はいると思う?
・いると思う
・いないと思う

伝:弘法大師(神護寺)

伝:藤原行成(鳩居堂)
ところで、不動明王の明王というのは、密教独自のものとか。

なんでも大日の化身だそうな。
それはさておき、なぜ不動明王の縁日が毎月28日なのでしょうや。
おそらくこれは月齢との関係でしょう。
つまり、如意輪観音の月待ち講の原型みたいものでしょう。
月が消える直前の28日に、新たに生まれくる月を待ち祈願する。これは農耕にも深く関わる縁日だったやも知れません。
また、別の見方をすれば、毎月ある「天の岩戸」祭りを行い、子孫繁栄、五穀豊穣を願ったのかも知れません。 あるいは、密教が伝わった当時の祈願を日本流にアレンジしてしまったのかも知れませんね。
日本には蔵王権現のような独自の神仏もいらっしゃいますので、密教を広めるために温暖湿潤気候である日本に合わせた加工が行われたことは容易に推察できます。
ところで、この不動明王。
怖そうな出で立ちや顔に反し、両手両足にアクセサリーを付けていておりなかなかおしゃれです。


いやいや、これらはアクセサリーではなく防具、あるいは武器かも知れません。
これに似たものが、散脂大将などの像にも見られますから。
この不動明王を追っていくと、やがてインド・シバ神に行き着きます。さらに奥まで探検すれば、おそらくメソポタミアあたりに至るのでしょう。
が、長くなりそうですから、今宵はこれまで。
★蛇足
月の〆というだけではなく、なにかと落ち着かぬ休みだった方もいらっしゃいますでしょう。
幽霊が頭には実在するのと同様、見えないものが頭を支配している場合もあるでしょう。
逆の見方をすれば、実体はないものですから、いつかは消えていくものです。
見えるものだけが正しいとは言いません。
でも、見えないものをへんに怖がったりする必要もないでしょう。
私にも神仏のようなものは存在します。
が、それは自分の心の中だけです。
これには、見える形やものは必要ありません。
また、亡くしたり壊れたりもしません。
常に頭の中に、心の中に持っていますから。

だからと言って、それを他人には強要しませんし、それが一番良いなどとも考えていません。
人それぞれですから。
ただし、あまりにもへんだなあ?というものには、ついつい口を出したくなってしまいます。
一連の小説に気分を悪くされた方があらば、お許しあれ。
しかし、自分の頭で考えることが大切かと。
自分を騙すのは、騙されるより難しいのです。