[田舎小説]山梨 その1 ★かがなべて | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる


かがなべて夜には九夜日には十日を



これはヤマトタケルが東征したおりに、今の甲府市酒折で部下に訊いたときに、火の番をしていた老人が応えて歌ったものとされている。

古事記にあるこの説話をもとに、酒折では毎年連歌を募集し、ヤマトタケルを祀る酒折神社への献歌が行われている。

私のところにも2、3年前までは、この募集案内郵便物が届いていた。


後にこの火番が東国造(あずまのくにのみやつこ=東日本監督)に大抜擢されることになる。

これは現代風に言うならば、東国の監督を中央からのキャリア派遣ではなく、地元出身・在住者に委ねたことを暗示している。


一種の懐柔策ともとれなくはない。

古代には伊豆半島付け根を通る東海道は整備されていなかったし、関東平野のほとんどが海か湿地だったから、甲斐(渓)の国は交通の要所であった。

また江戸時代に入っても、甲斐は天領としと特別な扱いを受ける国でもあった。
これは西からの勢力の防波堤であることと、莫大な埋蔵量を誇る金山の存在があるからだ。



地名の由来は調べていないが、甲府はこふ(古府)であったかも知れない。 実際、甲府市にはそのような地名が残っているが、これがはるか昔からの名前か江戸時代に入ってからのものかは、わからない。



また、山梨はまた隠れた宗教のメッカでもある。
歴史ある身延山から、テロ宗教として世界を震撼させたオウム真理教もまた、山梨に本部・国家?があった。

また、新興宗教の代表であり、フランスでは映えあるカルト集団の名をいただいたあの宗教らしいものもまた、山梨に本社がある。いや、失礼。本社とか本店という表現は間違いかも知れない。
が、とにかく山梨にある。


なおこれはSFになってしまうが、山梨から静岡、つまり富士山付近が日本文化発祥の地という考えもある。
そうした物語のひとつには、富士山付近が除福の永住の地というものがある。


そういえば、今や絵描きだか土いじりのプロになっている細川のお殿様の後をついだ、元バスの運転手とかやっていた羽田首相は除福の末裔だったかなあ。

まあ、確かに苗字はそれっぽいが。


ちなみに、すぐ隣の神奈川県には秦野という地名もある。埼玉同様、かなり古くから、大陸からの帰化が進んでいたのだろう。