小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
藤村の歌にも歌われた信州小諸・佐久盆地は、日本で最も日照時間の長い地域である。
この地ならば、太陽光発電も商業ベースに乗る可能性が、多少はあるだろう。
ここから北東長野方面に向かって6里。史上最高勝率(254勝10敗:9割6分2厘)を誇る、大関雷電の故郷・上田に至る。
上田から西へと分岐した街道を進むと、3里ほどで北向観音、江島生島の流罪の地で知られる、別所温泉である。
ここからつづら折りの坂道を北に登ること、さらに3里。石仏の数、多様さにおいて他に類を見ない修那羅峠に着く。
ここ修那羅峠に、第一次世界大戦の復興もままならぬ西洋から、1人の男がやって来た。烏の巣のような髪に穴の空いたマントを羽織った風貌は、一見修行僧にも見える。
男は黙々と石にノミを入れ、顔の長い女を彫っていく。風の日も雨の日も、そして雪の日も。
男は、この極東の国にすむ、母子の像も彫っている。
男の名前は、裳闍梨阿尼。
尼とあるが、男である。
先達の小説に『修那羅峠』という伝奇物語があり、この中で修那羅峠には巨大な石仏があることになっている。しかし、実際にはここに巨大な石仏はない。
せいぜい4尺(約1メートル20センチメートル)くらい。大半が3尺以下の石仏が累々とあるだけである。
ここには、従来の石仏にはない、アフリカやバリ島彫刻に見られるような、斬新なデザインの石仏があまた存在する。
関東大震災後の、裳闍梨阿尼の行方を示した資料は、ない。
ただただ、顔の長い女の石仏たちが紫苑の葉陰に隠れ、ひっそりとただずんでいるだけである。