[田舎小説]越後屋お主もなかなか 新潟 その1 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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時の権力が大きく変わると、ある人たちの人生、価値観ばかりか名前まで変わる。

例えば、商という国が衰えると、それまで天下人だった商の人たちは職業も制限され、政治や技術には関われなくなる。
彼らは当時は卑なる職業として扱われていた流通関連の仕事で飯を食うしかない。これが商人の名のおこりだろう。

山師についてもまた、同じようなこじつけ考えてみる。

山東にいた徐福は、初代皇帝を騙して、金銀財宝、優れた少年少女を引き連れて日本にやってきた。
まさに天である始皇帝さえ手玉に取ったから、山東の師匠、つまり山師である。
ちなみに、徐福が現代の日本人の祖先という説もある。

さて、新潟の話に移ろう。

現在も話題になっている男系についてである。

伝説では、かつても似たり寄ったりのことがあり、2、3番目に白羽の矢を当てられたのが、北陸、おそらく新潟あたりにいた王(当時は5世までは王である)だ。

ここから都入りまで、長い年月を要している。





これには後付け理由が付けられているが、この説明は放射線は体に良いとかいうのと五十歩百歩だ。

まあ、それはどうでもよい。
面白いのが、この大王には後付けで、継体なる名前が付けられていることだ。

もちろん、天武という後付け名称ほど不思議さはないが。



天武というお方は、有史以後ならば、最も不思議をもつお方であらせられる。


これを解くことは、未来永劫無理だろう。




新潟には、勾玉の材料である翡翠を産する糸魚川もある。


勾玉とは、実に不吉な名前である。

当時は、勾玉とは呼んでいなかったのではないだろか。


前方後円墳は子宮、勾玉は赤子になる前の生命体。

私は昔からそう感じている。