[田舎小説]鎌足、鎌倉 神奈川県 ★その2 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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種が邪魔なのではない。
実が無いのである。
だから女は、実の無い(蓑無い)山吹の枝を差し出したのである。


鎌倉というと、擬似国営放送が放映している大河ドラマの主人公(ただし題名は敵方の平清盛という、実にユニーク番組がある)の青春時代を過ごしたところであり、同時に幕府を開いた場所として知られている。
また、地震津波か台風で裸となってしまった大仏のおわす場所でもある。

鎌倉ゆかりの人物として、この頼朝以上に忘れてはいけないのが、太田資長、通称道灌である。



道灌は、幕府があった三浦半島の北に位置する葦の原に城を築いたのだ。

東の強国安房、上総、北には下総、古河、佐野。

交通の要所とはいえ、かなり思い切った判断だ。

道灌も、まさか江戸がこれほどの大都会になるとは思っていなかったろう。

江戸を切り開いた道灌をたたえ、東京駅のフォーラム方面には、立派な道灌の銅像が建っている。



では、その道灌と山で出会った女の会話を、現代語で再現してみよう。




ひやーっ。雨だぜ。

おい、そこの女。
傘はないか。
いや、この時代は雨傘はないから、合羽じゃなくて、蓑を貸してくれ。


と、女はうつむきながら、山吹の枝を差し出したのだった。

けっ!
何をふざけておる。
蓑じゃよ、蓑!



この後、その意味を知った道灌は自分の無知識を恥じて、歌を学ぶようになったといわれる逸話だ。


いかにもできすぎる話だが、文武両道の大切さを言いたかったのだろう。

京都ほどではないが、陰陽道から見ても鎌倉はなかなかいいところだ。


義経は義兄の頼朝によって奥州に追われるが、これは武家政治を目指した頼朝にとってはやむを得ないものだが、民衆としては哀れな義経像に惹かれるのもまた道理だ。


大局的には義経は鎌倉幕府、武家政治には危険な人物になってしまった。

だが、伝説として、母の愛を知らぬ兄の嫉妬とか、静への横恋慕とした方が面白いから、いろんな伝説もできる。

さらに伝説は、千島から大陸に渡ってチンギスになるという大技まで繰り出す。
残念ながら年代、体型が合わないからこの説は成り立たない。


ただ、満州あたりの言葉や風俗は、日本に似ていたりする。

まあ、満州語も日本語も、その骨はアルタイ語(トルコ語、モンゴル語などの祖先)仲間だが。

そういえば、一昨日、そのアルタイ語の特徴が最も残るであろう、アングルの泉の国に行かれたブロガーさんがいらっしゃる。


私の携帯電話は古い型なので、飲食物の転送はできないので、せめて空気だけでも送ってくれるよう頼んでおいた。


かの国は、世界屈指の日本を仲間とみる国であり、イランイラク戦争では返しきれない恩がある。


が、日本のマスメディアはそうした国の話は書かず、日本人を裏では東洋鬼とか呼んでいる国と仲良くしたいようだ。

まあ、今の幹部には日本が日本と思わない人もいますからなあ。たぶん。

このあたりの会議についても触れない。


アメリカの植民地的ではあるかも知れませんが、かの国の省なんざまっぴらごめんなすって。