[田舎小説]茨城 日立つ国 その1 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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寒がっぺよ。


滝が流れを凍らせたというのに、男は浴衣をはおったのような格好で、その巨大なつららを懐かしげに眺めている。 2メートル近い体には、いささか着物の丈が足りない。


この程度の寒さは、私のふるさとに比べたら何でもありませーん。


流暢な日本語だ。
アーバー、スパでビールを飲めないのは、ちょっと残念です。


今や日独文化の担い手にもなっているPは、軽く首を横に振った。
それと、ソーセージがないのも。

でも、ここの黄門ラーメンは美味しいです。




流れを止めた滝の近くには、黄門が日本史編纂の合間に避暑を兼ねて住んでいた隠居がある。
一説によれば、ここで黄門は日本人として初めてラーメンを食べたということになっている。
これは正しくは、著名人では“初めて”とすべきだろうが、細かいことはどうでもよい。

隠居後の黄門は、亡くなるまでこの大子、太田、水戸の行き来を除いてあまり動いていない。たまに思い出したように隣の飛び地、下野の国-馬頭に出かけ偏屈爺と呼ばれている、しま爺なる坊主崩れとの口論を楽しみにしてはいるが、それは大子からわずか4里の距離でしかない。

だから、黄門の全国行脚は、もちろん最近の創作である。



話を戻そう。

Pは裸足で下駄をならしながら、日本三大瀑布のひとつである滝の、ガラスとなった姿を眺めている。



私は土に命を与えている。
いや、そのつもりだった。

しかし、本当は土から私が命をもらっているのではないだろうか。



この不思議の国に住んでいるうちに、そう思えてきた。




いまやPは、日本人より日本人になっていた。



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★例えばの話ですが。

日本に本日人という人達がやってきて、昨日“本日”という国を作ったとします。

この本日が“本日国は2700年の歴史がある”と言ったとします。

こんな話に頷く方はまずいないと考えるのですが、学校の歴史やマスコミでは、外国の歴史を同じように教え込んでいますなあ。

というか、それが常識らしい。

さすれば私は、歴史音痴の常識はずれでしょう。

しかし、数千年の歴史とは大きくでました。

私の計算では70年くらい。


ちなみに、その常識に従えば、アメリカとやらも数千年の歴史がありますし、北朝鮮も数千年の歴史があるということになります。

しかし、なぜかこちらは250年とか70年とかだなあ。

これって差別?



いや、20万から30万の引き算をして、億だの兆だのの話になるところです。

まだまだ、こんなのはかわいい。


Aさんは年間収入10万。 貯蓄 0。

Bさんは1日収入平均3億。
貯蓄 不明。


日本の偉い先生の一部にはこれを、平等と呼ぶ方々がいます。


★そして多くが信じています。
★→訂正:一部が信じている素振りをしているようにさえ思える。



かつて私は、その国の首相の形式上の給与1年間分にあたる1回の夕飯を、ポケットマネーで支払ったことがあります。
ええ、かの国では非常に重要な顔繋ぎのためです。

今考えると、会社に伝票を回しておくべきでした。






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夏は西日 。

いや、夏は酔いだったけ。

細かいことはどうでもいっか。


なんとか先生熱烈歓迎とかいう旅とか、全国紙の紙面だけじゃあ、現実はわかりっこない。





特権階級の“一般的な生活”を見せられて、それが国民の一般的な姿だと思うようなおめでたい方はいないと信じたいが、その“特権階級の”を抜いて“一般的な生活”として報道するのは、こりゃあ罪悪でしょうよ。