(小説)おらが田舎の都市伝説 ★蛇夫 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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下野国端岩の里に、羽出須寺という古刹がある。この寺には、蛇の嫁となった話が伝わっている。

いつの時代だったかは分からない。はるか昔のこと、この村に都の歌にも歌われるほどの美しい娘がいた。
娘の名前は伝えられていないが、ここではスケベ芭蕉に礼を拝して、かえでとしておこう。


かえでは月のものが訪れるようになってからは、親さえその眩しさに直視できぬほど、日々輝きをましていった。
この変化に竹取りの翁である父親も、洗濯好きな母親の媼も、嬉しさよりは怖ささえ感じるようになっていったのだった。


かえでの美しさを耳にした郡やら国の長の麿が話を持ってくる。しかし、かえでは薄笑いするだけで、やんわりと断るのだった。



さては、名を教えた相手がいるのではあるまいか。

翁が媼に聞き出すよう言った。
初めは言葉を濁らしていたかえでが、口を開く。


ございます。


して、そのお方のお屋敷は?また、いかなる方や?

それが分からないのでごさいます。

かえでは伏し目がちに答える。

そのお方は、毎夜訪のうてくださり、幾度となく情けをかけてくださりまする。


道理で。
毎夜毎夜、艶やかさの増すことよ。されど、お顔くらいは知っておりゃろ。



それが、いつも暗闇でしか情けをかけてくださいませぬ。灯りの一つさえ許してくださりませぬ。


はて、困ったことよ。








その夜のこと。
かえでは、媼に授けられた針を、帰りの途についた男の衣の裾に刺した。

その針には麻糸が付いている。




翌朝、まだかえでが床の中でまどろんでいるうちに男の屋敷を突き止めようと、翁は新しいわらじに履き替えた。


麻糸は、かえでの部屋から裏山へと繋がっている。

さらに道が狭くなったと思ったとたん、大きな祠のある広い岩場に着いた。

そこは、村人が三輪(へび)の神の社として祭っている岩場だった。


もしや……。

翁は麻糸をたどりながら、祠の中に入っていく。


と、そこには尻尾の先に針を通された大蛇が、その針傷を舐めているではないか。




大蛇は翁に気付くと、さらに奥の暗闇へと消えていった。





それ以後、かえでのもとには男が現れなくなったという。




このあとかえでがどうなったかは、現代は伝わっていない。
しかし、徳川三代将軍家光を育てた春日局とも縁あるこの寺には、家光も百表ぶちを与えているばかりか、足利初代将軍尊氏や鎌倉初代将軍頼朝や伊達政宗もまた、名代を送り寄進している。



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一説によれば、足利尊氏も伊達政宗もまた、このかえでの子孫であるという。


確かに、伊達政宗の先祖はこの地の土豪として頭角を現し、その子孫が相馬、伊達へと移り住んでるのは事実だ。
また、頼朝の関東地固めの際も、この近くの神社に勝利祈願をし、寄進した弓一式が残っている。

これは関東流鏑馬の一の神社として、今に続いている。
尊氏に至っては、さらに不思議な夢物語もある。


親鸞が居をかまえ、二宮金次郎が采配をふるった端岩。


不思議いっぱいの地なのだ。






★★★★★★★★★★★
伝説に詳しい方ならご存知のように、これは三輪伝説の変形だ。本文はかなりデコレーションをつけたが、大筋は同じである。

これは古くからある農耕民族の、蛇信仰を暗示している。

蛇など人に害をなすものは神にしてしまう。
これは日本固有の神加工術だろう。

こうした例は大国主、事代主、諏訪大神、聖徳太子、、神田大明神、崇道天皇……。

と、枚挙にいとまがない。



もし、ギリシャ神話をご存知ならば、この話はハーデス神話の変形であることはお分かりだろう。

よく言われることだが、ヤマタノヲロチ伝説にしろ、この蛇夫伝説にしろ、確かにギリシャ神話に似ているところが多い。


さらに歴史を遡れば、日本神話もギリシャ神話も、またマヤ神話も、エジプト神話に繋がるだろう。

さらにその向こうには、ぼんやりとウルク(イラク南部)が見える。



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