仏生日 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私の記憶では、学校が始まるのがこの日だった。

桜が満開で、その木の下で記念写真を撮る。

4月8日には、そんなイメージがつきまとう。

同時に、この日は田舎の子どもたちにとって、もうひとつの楽しみがあった。
近所の人々が集まって甘酒やら団子を作り、子どもたちにふるまう日でもあったからだ。
私は記憶にないのだが、小学生になる前に、大人にふるまわれるべきお茶けをあやまって?飲み、かなり気分よくなり、鼻歌など歌って家に帰ってきたことがあるらしい。


この行事は、おそらく仏生日のお祭りだったのだろう。





そういえば、田舎には仏生寺という寺があった。

子どもが遊びに行くには遠足以上の距離のある山奥にあるが、中学生になってからは、植物採集の折り時々訪ねた。
近くには、『参らず帰らず』なる恐ろしい名前の沼があり、厳冬期には厚い氷が張ったから、村一番の真面目な子どもながら、不良とか言われることもある人たちに混じってスケートをしたりもした。


この仏生寺は、釈迦の生まれた寺とは関係がない。

日光を開山した、勝道上人の実家近くに建立されたものだ。
樹齢700年とも1000年とも言われる県指定の欅は目を見張るが、実はもっとすごいものがある。

今はおそらく無住職で、となり村あたりからの住職が兼務する寂れた寺たが、そこにある十二神将は、かなりの逸品だ。

勝道『自作』とも伝えられるが、おそらく鎌倉あたりのものだろう。

大人になってそれらを見せていただく機会があったが、これは田舎町指定の重要文化財程度にしておくのはもったいないな、と思った。



かつては深い森の中にある、うすら寒く怖い場所にあったが、比較的最近訪れたときには、あたりの木々が取り払われ、都会にある自然公園的な明るい風情に変わってしまっていた。


嬉しくも、それ以上に寂しくも感じた。



さて、普通より早起きしてしまった。

あと一寝入りして、我が娘カタクリの丘に行き、また明日からのハーデスの地に備えよう。