
シラカバやミズナラではよく知られているが、木には鼓動がある。
誤解のないように言えば、道管を伝わっていく水の音を聞くことができる。
それはコロコロだったりシャーであったりするのだろうが、とにかくブナやらミズナラが葉を出してから吸い上げる水の量はとんでもない量だから、当然その流れる音が聞こえてくるわけである。木の医者が聴診器を幹にあてるのは、人なら動脈静脈にあたる血流を音で診察しているのだろう。
道管の死は、その個体の死を意味する。
1気圧で吸い上げられる水の限界である10メートルを超えて、木が道管を使いはるかに高い位置まで水を運べるのは、木の長い歴史の中で考えついた特殊な方法があるのだろう。私にはその仕組みが、いまだに分からないが。

植物の中には、できるだけ道管の負担を軽くしようとしてか、枝が垂れるものもある。
垂れ枝は、滝にも似た風情があり、古くから親しまれてきた。


話は変わるが、黄桜というものがある。
いや、清酒の話ではない。
見た目に、黄桜に見えるものだ。これがその黄桜ではないが、遠目には黄桜に見える。
これはこれで、なかなかオツなものだ。
