いつもの時刻に目が覚めたが、一寝入りしたら正午を回っていた。
私の甘い考えかも知れないが、どう考えても還暦間近ジジイの生活にふさわしくはない。
と、泣き言を言っても始まらないのだが。
所詮、自らの能力の無さを嘆くようなものだろう。
しかし、人生誤ったなという感もなきにしもあらず。いや、これこそ、天に唾吐く行為だ。
近くの中学校に反旗がひらめいている。
ワンセグで陛下のお言葉を視聴したのは近くの喫茶店。ある意味、ここと週末の散歩が私を癒してくれる。
さて、その散歩も久しくしていなかった。
今日はあれから1年。
おそらく各テレビ局は、ここぞとばかりに特集を流しているだろう。
インチキ学者にインチキ安全説明やら、インチキ報道をしたことなど忘れたように、“頑張れ東北”だの“絆”だとかやるのだろう。
東北の人々は十分過ぎるほど耐え頑張っているではないか。それ以上、何を頑張れというのだろう。
絆だとかいう前に、今回の人災を調査することさえしない。まあ、それは企業だから仕方がないのか。 スポンサーの悪口を言ったら、明日から飯の食い上げになるだろうから。
そんな今日この頃。
それでも川や畑には緑が萌え出した。


ゴミ捨て場のような空き地には、ピンクの雲がかかっている。

足下を見ると、新しい命が生まれていた。

私の人生の師でもあるイチヤクソウは、葉を1、2枚増やしている。

カタクリが芽を出していた。
この丘が一面の紫に覆われる日も近い。


餅草(ヨモギ)は今が旬だが、この頃はこれを採って食べる人はほとんどいないだろう。

千葉ではペンペン草(ナズナ)が、2回目の開花を迎えている。

いつも感心するのだが、近くの村の辻にある野仏には、折々の花が絶えることなく生けられている。
