大根を乗せた荷車を引いていた亀吉は、お富士の山に七色の雲がかかっているのを見た。
へーっ。今日は縁起がいいぜ。
亀吉は、まだ霜柱の残る練馬の畑道で、しばし丹沢の峰の後ろに鎮座する日本一の山に見とれたのだった。
その年の神無月。
地が割れ、海が暴れた。
亀吉の長屋では幸い怪我人だけですんだが、長屋は崩れ落ちた。
将軍様の住むお城にも被害が及んだ。

伊豆、相模では幾千、幾万の家が呑まれたという。
が、さらなる悲劇が続く。おおなゐの修繕も一段落もせぬ、その年の霜月の終わり。
江戸の民にも毎朝拝まれ親しまれてきたお富士の山が火を噴いたのだ。
大地震、大噴火。
この犠牲者を弔った石碑、地蔵を、今なお村の辻などで見かけることができる。


(右上に宝永四年の文字が見える)
この噴火による塵が世界中の空を覆い、太陽からの熱が年々少しずつ減って行った。
そして、ついに歴史に残る亨保の大飢饉へと繋がっていく。

(この石仏には亨保七年の文字が見えるから、亨保十七年の大飢饉とは関係がなさそう)
天明の大飢饉は、上州・浅間山の噴火塵による日照不足によるところが大きいが、亨保の大飢饉と富士山噴火も、多少の関連があるかも知れない。
大噴火による気象異常は、人などには相手できるものではあるまい。
15世紀初頭から18世紀末までは世界的な寒期であり、その証拠はブリューゲルなどの西欧の絵画を見れば想像がつく。
学者によっては、小氷期とも呼んでいる。
ある意図をもって“地球温暖化→二酸化炭素悪玉”説が日本では“常識”とされている。
が、条約内容を詳しくは分からずとも、これが環境を考えたものではなく、経済活動と日本から金をせしめるたかりの一種であることはなんとなく分かるはずだ。
グリンピースだけではなく、環境団体は政治と密接な関係にあることは、日本以外の国ならば、あるいは常識かも知れない。
環境保護だけではなく、文化経済で世界的に著名な方の中にも、意外に金をぼったくっている方もいるかも知れないなあ。
