建国記念日に思う | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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本日2月11日は、建国記念日ということになっている。
いや、与党の一部の方には、建国記念の日と言わないと自己反省を求められるかも知れないが。

ところで、この建国記念日とは一体どんな日なのだろうか。

建国記念日は戦前は紀元節と呼ばれ、明治時代になって作られた祝日である。
紀元節を作るときには、当時は実在とされていたカムヤマトイワレヒコ(後に神武天皇と名付けられた)が、奈良地方を統一したのを2月11日にしようということになったもののようだ。

私は、現在の天皇ならびに天皇という存在に敬意を表する者ではあるが、この話は6から7世紀の創作だと考えている。わけの分からぬ爆竹を鳴らしたりする人たちが、やたらこれを強調することは、逆に日本や天皇というものを貶めるものだと思う。 もちろん、神社が皇紀二千六百七十二年とかやるのは全く問題がない。
これは西暦2012年とか、仏歴2556年などと同じ類だと考えるからだ。
祭りごとと政は、現在では違うのだ。



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ところで、この2672年なる数字はどうやって出したのだろうか。

明治時代の学者の説では、中国の辛酉(しんゆう)革命説であろうという。60年で十干十二支が一巡りする。今でも60歳を還暦と呼ぶ名残がある。この60年を1元とし、21元ごとに革命が起こるというものだ。

これを考えたのは、おそらく後に聖徳太子と呼ばることになる貴族か、その周辺だろう。
推古9年(西暦601年)から21元前、つまり西暦紀元前660年あたりの辛酉年を、奈良地方にアマテラス族のカムヤマトイワレヒコがやって来て制圧(平定)した日としたしたようだ。

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このあたりの記紀をじっくり読むとなかなか面白い。ただし、現在に残る記紀は、蘇我家などが持っていた“間違った”歴史書を破棄して新たに作られたものだから、かなり注意しなければならないだろう。


おそらく天皇家においては、カムヤマトイワレヒコつまり神武天皇の位置は、中大兄(後の天智)や山部(後の桓武)ほどには重きをなしていないだろう。


歴史を学ばずに、ただただ賛成だの反対だの言っている方の考えが見えない。 記紀をちゃんと読めば、神武を天皇家の祖先とすることは、かなり失礼な話だとわかるはずだ。


いや、どうも、それさえ考えていない場合もあるやに感じてしまうこともある。



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日本は多民族国家であった。

また、けして海洋民族ではなかった。

義務教育やマスコミも、あと少し本当にあったことを伝えるべきだ。

最近も話題に上る従軍なんたらに関しても、あまりに一方的な話が流布され、新聞にも出ていた“募集広告”などが取り上げられることはまずない。


日清戦争で日本が勝ったからこそ、今の中国が生まれられたことや、日露戦争のおかげで、世界のどれほどの国が嬉し涙を流したかも、日本のおかげで生まれ変わることができたアジア・アフリカの国々の言葉を伝えない。

もちろん、それを強要しろというのではない。

そういう意見、見方があるのだということを教えていない。



現在の義務教育は、まさに左翼を作り出す兵器だということさえ分からない世代。


いや、左翼ならまだいいかも知れない。


機械人間を作る、毒ガスにさえ感じることがある。

偏った見方しか教育を受けられなかったなら、別の見方はできなくなるだろう。

今の教育とマスコミが続く限り、日本は独立はできまい。



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