
『オズの魔法使い』とか『動物農場』あるいは『ドン・キホーテ』『人魚姫』……。
これらはすべて大人が路地裏で読んで、煤けた笑いをする書物だろう。
本来は、子どもの読み物ではあるまい。
これらは、ある意味で眼鏡を掛けて見た世界であり、同時に眼鏡を外して見た世界の記述でもある。
最もストレートに書かれているのが、『オズの魔法使い』(子どもの頃、日本語の訳本しか読んでいないが)に出てくる“緑の国”の話ではないだろうか。
ここでは最終的に、主人公が緑色の眼鏡を掛けていたことに気付くのだが、一生眼鏡を掛けていたことに気付かない場合、眼鏡を外しても本人さえ意識していないカラーコンタクトが埋め込まれている場合がある。
後者の場合は、眼鏡を外しても世界は青や赤なわけだから、白という色を認識することはできないだろう。
今私たち日本と日本人は、新たなサングラスを掛けはじめている。
このサングラスは、戦後教育がそうであったように、自然と体に組み込まれ、やがて体の一部になってしまう恐れがある。
本当は、私たちは自分の国と自分の国の歴史をもっと知らなくてはならないが、義務教育のトップサイド、現場の一部はそれを許さない。
参考
赤いサングラスを掛けると、補色関係にある青緑色は黒になる。

皇室関係は菊、政府関係は桐。
葵をどこで使っているのかは知らない。
