かがなべて (車中記) | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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今年最も印象に残った歌ブログネタ:今年最も印象に残った歌 参加中



新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
(問歌:ヤマトタケル命)


かがなべて日には九夜(ここのよ)夜は十日を
(返歌:火焼の翁)


古事記では、これを我が国最初の相問歌として挙げている。 (最初の歌としては、須佐之男命の“八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を”だった気がする。間違っていたらごめんなさい)

ここに出てきた筑波とは、関東平野のほぼ中央にある、1000メートルにも満たない低山だ。が、周りが平地であることや稜線が美しく乳房のような2つの峰があることから、東の夷(えびす)の国にありながら、古代から大和人に愛されてきた山だ。

高い建物がなく、また空気の澄んでいた古代なら、あるいは関東各地からその麗しい姿が見えたかも知れない。
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また、古くから歌を掛け合う場所(男女の契りあう場所)としても知られ、豊穣と子孫繁栄を願う山でもあった。

これと対照的なのが富士山である。
今でこそ霊峰になっているが、かつては反国家勢力の象徴だったかも知れない。
詳しい話は割愛するが、古事記によれば、大王家(今の天皇家の祖先)を呪う言葉を発したのは、この富士山に深くかかわる勢力だ。

そのために、頂には常に雪を纏い、人々からは遠い存在になってしまったのかも知れない。




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また、こんな話も残っている。

神が一夜の宿を請うたが、鼻の高い富士山は冷たく断った。
一方、筑波山は温かく迎え入れ、篤くもてなした。

だから富士山は人が近寄りがたく雪をいただき木も生えていないが、筑波山は緑に覆われ、老若男女に愛されて登り祭られるのだと。

この話は、茅の輪くぐりや薬の神で知られる、蘇民将来と須佐之男の話を思い起こさせる。



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(筑波山は、少し見る場所が変わると、大きく山容が変わる)


発展させると、これは大国主命と兄弟、うさぎの話にも繋がる。





妄想をたくましくすれば、原典はアダムとイブ、そのまた原典のイラクやエジプトにもたどりつく。
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(我が国初?の歌に出てきた、新治にほど近いところからみた筑波山。2つの峰が男女を表す)