
先日、あるブロガーさんが猿蟹合戦の内容を忘れてしまったとおっしゃっていたので、新しいバージョンの猿蟹合戦についてコメントに書いた。
これが思いのほか受けたので(老人思いの優しいブロガーさんなのだろう。素晴らしいとのレスが(笑)とともに返された)、そのコメント内容のぶり返しになるが、本題に入る前にまずは一部加筆訂正して記してみましょう。
『猿蟹合戦ver2』
~しま爺民話全集より
昔むかし、ある小さな島にお猿さんが住んでいました。
お猿さんは、はるか遠くに見える大秋津島に渡りたかったのですが、海を泳ぐことはできません。
そこでちょっとした猿知恵を使って、こんな話を蟹さんに持ちかけました。
「ねえ、ねえ、蟹さん。お宅と俺の仲間は、どっちが多いと思う?」
蟹さんは笑いながら言います。
「そりゃ、私の方が断然多いですよ」
「そうかなあ。じゃあ、蟹さんの仲間の数を数えてみるから、この島からあの向こうに見える大秋津島まで並んでみて。俺が蟹さんの背中をひとつずつ数えていくから」
蟹さんが、小さな島から一列になって大秋津島まで連なっています。
蟹の背中を飛びはねながら、大秋津島にたどり着いたお猿さんが言いました。
「蟹のマーヌケ。アホ、バーカ。俺には仲間なんていないよ。こっちの島に来たかっただけ。キャッキャッキャッ」
怒った蟹さんは、お猿さんにハサミを向けました。
しかし、お猿さんがさっと身をかわしたので、そのハサミが触れたのはお猿さんのお尻だけでした。
こういうわけで、お猿さんのお尻には毛が無く赤いのです。
また、お猿さんに背中を踏まれたので、蟹さんの背中はあんなに平べったくなってしまったのです。
また、お猿さんに騙された悔しさから、蟹さんはいまだに時々泡を吹くそうです。
~おしまい
さて、本題にはいりますか。
世界の伝説民話に必ずと言ってよいほど出てくるのが、タブーを破る話。とりわけ見ちゃイヤッ神話とも言うべき類の話です。
よく知られているところでは、『夕鶴』の元になった鶴女房の話や、夜中に忍び込んでくる旦那の本性が三輪の神(蛇)だったなどがあります。
日本神話は、この見ちゃイヤッ話に溢れています。
日本最初の頃の夫婦神であるイザナギ・イザナミも見ちゃイヤッ神話で、亡くなった妻のイザナミの姿を見てはいけないという掟を、夫のイザナギは破ってしまいます。三輪神の話やこの話は、ギリシャ神話ハーデスのそれに似ています。
また、山幸彦は妻の出産の様子を産屋で見てしまい、やはりタブーを破った罪として、妻は生国に帰ってしまいます。この話が、鶴女房の原点かも知れません。
これを深読みすると、因幡の素兎(しろうさぎ)や須佐之男(すさのを)同様、半島との関係に進んでしまいややこしくなるので、この話はまた別の機会にします。
マヤのポポル・ヴフにも、ヒカロという禁断の実を食べてしまう少女が、神を産む話が出てきます。
これは、このブログ最初の記事の題材にしましたが、同時にアダムとイヴの話を思い出させてくれます。
このようなタブー破り話の多さは、人とはタブーを破ってしまうものだということを言いたいのか、タブーを破ると罰が待っていると言いたいのか、あるいはそれを実は奨励しているのかはわかりません。
中学に入ってからでした。
体育の時間は、男女が別々の授業を受けることになりました。
教室には角っこにカーテンで仕切られた簡易更衣室ができ、時間差で女の子たちがその空間に入っていきます。
ある時、イタズラ大将が、そのカーテンを引っ張りました。
あっ。
そこには、田んぼで見るばあちゃんのスルメイカを付けたようなそれではなく、まだちっちゃいとはいえ、みずみずしい桃の実がありました。
ああ、あれは中学時代苦手でした。
あまりに苦手で、2、3日眠れなくなるくらいの存在だったのです。
と、なんかまとまりの無い〆になってしまいました。
明日、またチャレンジですな。
ほな、ぐるり回って寝ますかい。
いや、昼寝をしてしまったから、明け方になるかいなあ。