
月月火水木金金
昔そんな歌が流行った。
高度成長期の華やかなりし頃の日本のサラリーマンを、なかば励ましなかば揶揄し自嘲気味に歌ったものだ。
日本人の多くは日曜日、または土曜日、日曜日が休みだと思っているし、ほとんどのカレンダーは日曜日が赤字、つまり休日であることを示唆している。
これはキリスト教の影響からだろう。
なぜならイスラム教では金曜日が休みであるし、ユダヤ教の休みは土曜日だからだ。
中華人民共和国でも、星期一、星期二、星期三、星期四、星期五、星期六と来て、日曜日は星期日になるから、基本的には日曜日が休みである。
一方、日本でも交通、流通などサービスに関わる方には、日曜日はむしろかきいれ時になるだろう。
おそらく将来の日本には、日曜日は今ほどには重要ではなくなってくる。
というのは、もし現政権が推し進めるTPPが本格稼働をすれば、日本の第一次産業ならびに第二次産業で生き残れる業者は極端に減り、日本人の多くは第三次産業に従事するか海外に食や職を求めざるを得なくなるからだ。
こうなると、日曜日の意味が希薄になり、土曜日とか日曜日が休日という現在の流れが大きく変わってくる。
一方、現政権が倒れた場合にはどんな未来が待っているのか。
この予測はかなり難しい。というのは、現政権に代われるだけの案と力が果たして今の自民党にあるのかに疑問が残るからだ。さらに、アメリカの背後にある力がどう動くのかも分からない。ただ、少なくとも被災者への対応は早く、かつ速くなるだろう。
現政権には、本当に被災者を助けようとする意思があるかどうかさえ疑問だ。
自民党を批判していた野党気質は変わらないし、金のなる木を得て舞い上がっているだけならかわいい。が、それだけではない曇った力を発揮しているやに見える。
たとえおかしな法律でも、一旦成立してしまうと廃するのは非常に難しい。
町内会規約が国の法律になると、国が生きるためには弊害になる場合もある。
また、一見平等そうに見えるものが、とんでもない差別を生む柱になっていたり、特定の例外を認め素知らぬ振りをすることもあるだろう。
あまり政治のことは分からないが、意外と身近にえっ?!というような例外があることくらいは知っている。
極めて細かいことを言っているわりには、どうしようもないザル、えこひいきは確実に存在する。
ただ、そうした都合の悪いことはマスコミには載らないから、なかなか気付きにくい。情報操作はどこの世界にもあるからやむを得まい。
しかし、よく言うよ、との気持ちはある。
別の見方をすれば、尊敬に値する。私にはあそこまで厚顔でいることはできないからだ。嘘を突き通すのも偉大なる能力なのだから。
しかし、日本と日本人を認めないような国会議員がバッチをつけているというのは、いまだに納得がいかない。
理解はしている。呑み込めないというだけの話だ。
へんな構造、構成の国会と国会議員さんたちである。
国を良くしようということで批判するならわかる。
しかし、最初から目が違う方向に行っているなら、やはり日本の国会議員であってはいけないだろう。
世界の中で、こんな不思議な構成の立法、行政府はあるのだろうか。
不勉強にして私は知らない。
★追記
家光の参勤交代。
おそらく理由はそのあたりだ、と考えたい。
が、これは甘い考えだろうな。
もっと飛躍すれば、『妖星伝』になる。この考えは中学生か高校生の頃、つまりその小説を読むはるか前に感じてはいたが、自分の妄想として封印してきた。
しかし、どうも“神”に似たあたりは、そうしたいような雰囲気を感じる。
これも理解はできる。
まだ、納得の域には達していない。
いや、生きているうちに納得できるかどうかは疑問がある。
ただ、考えだけは、昔から見えている気がしている。
私の子ども時代に見えたものは、キリスト教世界などでいうなら“預言”ということになるだろうか。
私は不幸にして“現代科学”という宗教を9割以上信じているから、こうした声なり映像は精神的緊張による“幻聴・幻視、気のせい”と捉えていたし、その考えは今も変わらない。
ただ、確かに現代科学だけではなかなか理解が難しい事柄も、多少ありそうだ。
これを否定するものではないが、声高に発するべきものかどうかは分からない。
だから、私にとっては、ほとんど全ての新興宗教は金儲けや個人の趣味に見えてしまう。またそれは当たっているだろう。
たぶん、根っからのダメなやつなのだな。
ただ、そのダメなやつの予想が本当になったことは、枚挙にいとまがない。
このあたりは、“忍者”の方が、私自身より詳しいかも知れない。
最近は、あまり忍者を見なくなった。まあ、そんな相手に忍者への人件費をかける価値がなくなったということだろう。

