他の言語についての知識はほとんど無いが、日本語ほど死を表現するのに多彩な言語は少ないのではなかろうか。
崩御、逝去、他界、昇天、卒、死亡、往生、死、逝く、亡くなる……。
これに類した言葉も多い。
三途の川を渡る、お迎えが来る、召される、土に帰る、先祖の霊に名を連ねる、星になる、あちらに行く、鬼籍に入る……。
かつては、人の死を表現するには厳格な決まりがあったようだ。だから、梅原氏あたりは、柿本人麿は獄死であったろうと論じている。
それに関連するが、かつてさるお方の死の知らせに、不謹慎にも笑い出しそうになったことがあった。
というのは、とある方が「◎×社長が崩御なされた」と、大真面目な顔でおっしゃったからだ。
仮にさるお方が、そのお方にとっては“崩御”級のものであったとしても、他人の前で口にすべき言葉ではないんじゃないのかな?と思った。

こうした表現の多様さは、日本人のルーツや考え方を知る上で貴重だろう。
が、そうした文化も失われつつある。
今のマスコミならスポンサーの大社長あたりに“崩御”とかいう表現を使いかねない。
★信じる
難しい世の中になってきた。
とにかくお上の言うけとのほとんどに?を付けたくなるご時世である。
流言飛語には惑わされず、安全を信じてくださいと言った内容がデタラメで、規制しようとした流言飛語なるものが事実に近かったりすることは、この半年の間に幾度となく経験されていらっしゃるでしょう。
このブログなども対象だろうが、彼らの言う“流言飛語”を削除し“正しい知識”を植え付ける作業が本格化してきているようだ。
何が“正しい知識”?と思う。
自発的核分裂、温度のみに目を向けさせる冷温停止、放射性物質の除染。
これらは、日本の報道界、政治経済界以外で通用する“正しい知識”でしょうや。
“パンが無ければケーキを食べればいいのにね”より、桁違いにひどい。
★知る
難しすぎるテーマなので、題名だけとしよう。

分かっていることは、知っていると思っていることの大半が幻想だろうということだ。