
“理系”出身の方なら、まず使わないか、使えない言葉がある。
それは、“絶対”とか“100パーセント”とかいう言葉だ。
もちろん、絶対0度(摂氏約-273度)とか、湿度100パーセントとかいう言葉は除く。
ここでいう絶対とか100パーセントとかは、ある行動、事象などに対しての言葉という意味だ。
つまり、絶対見るとか、100パーセント合格とかの類である。
科学を学べば学ぶほど、世の中に絶対なるものの存在を認めることが難しくなってくる(ただし、神とか宗教の話はこんがらかるので、ここでは考えない)。
いい例が、
1+1=2
という式だ。
アインシュタインの世界では、
c+c=c
である。
また、生命誕生の世界では、
0+0=1以上
でもある。
と同時に、おそろしい世界も見えてくる。
これは、つい最近あるブロガーさんが書いていらっしゃったが、10の40乗なる数字だ。
この数字を突き詰めると、神の存在を肯定せざるを得なくなるのかもしれない。
話が飛んでしまった。
アインシュタインの式に限らず、普通なら絶対だろうと思われるものが、絶対ではなくなる。
例えば、極低温においてある種のヘリウムは、容器の底から上にはい上がっていく。
今の人類にはほとんど不可能だが、さらに高度な生き物ならば、過去へ戻ることは無理としても、未来へ行くことはできるだろう。
(NASAでは、宇宙船に載せた原子時計と、地球上に置いたままの原子時計との時刻差、または時間差を観察しているはずだ)。
ところで、最近になって、かつて騒がれた地震兵器だの、気象兵器だのを話題にしているブログを目にすることがある。
兵器という言い方はさておき、ヨウ化銀を使った降雨実験は、半世紀昔からあった。
今ならかなりの規模、性能になっているかも知れない。
だから、気象兵器とかいうものなら、なんとなくわかる。
しかし、地震兵器とかいうのはどうだろうか。
もちろんマグニチュード2程度の原水爆を使った人工地震実験は、やはり半世紀前からやっていたから、それ自体はあったとしても、例えば最近では比較的普通に聞くマグニチュード6でも、1000000倍のエネルギーが必要だ。
マグニチュード9とか言ったなら、うん百億倍のエネルギーが必要となる。
これを本気になって論じることは、くしゃみをして月を吹き飛ばすことを考えていることに似ている。
しかし、政治家の中には、真剣に論じていたりする方もいるようだ。
ただし、それでも絶対にあり得ないとは言えないだろう。
話を戻そう。
最近の“絶対”の意味は、大変軽くなってきたように感じる。
このネタの“絶対”も、せいぜい“よく~する”程度だろう。
まてよ、この用法は昔からあったのかな。
絶対行くね。
で、待ちぼうけを食らった方を、何人か知っているゆえに。