
涙が出るほど美味かった味噌汁とか、喉が喜んだパンの記憶ははっきりあるものの、おかずと言われてすぐに浮かぶものがない。
あえていうならば、沖縄の塩だろうか。
これは、私の塩のイメージを大きく変えた。
江戸時代は塩辛いことを“美味い”と言ったという話は聞いたことがある。
また、それを我慢することを“塩断ち”といい、神仏に祈りをするときに行われた。
確か、勝海舟が犬に大切なところを噛まれたときには、海舟の親父が塩断ちしたと思う。
沖縄の塩を食べるまでは、たかが塩断ち、と思っていた。
が、確かに塩は美味いのだ。
残念ながら、今はそんな塩は口に入らない。
ひょっとしたら、昔の人たちは、そんな美味い塩を食べていたのかもしれない。
しかし、梅干しならさておき、塩をおかずとするには問題がありそうだ。
ところで、上述の塩のように、日本人にはおかずというにはやや疑問符をつけたくなるものが、立派なおかずだったりすることがある。
その代表として思い浮かぶのは唐辛子だ。
日本あたりだと、唐辛子とは刻んだり粉にしたりして料理に混ぜ、ピリッとした感触を味わう材料である。
ところが、これを焙った、あるいは炒めただけのものが、場所によっては立派なおかずなのだ(主食でさえあると聞いたこともあるが、真偽はわからない)。
かつて、イサン(タイ東北部)のドライバーに、お国自慢の料理屋に連れていってもらったことがある。
とは言っても、ビニール屋根の屋台だが。
そこに出てきたのが、このまるごとバナナならぬ、まるごとトウガラシ。
はい。
これは食べなくてはなりません。
私はミニボルツ10倍くらいまでなら、なんとか美味さを味わえる。
が、これはきつかった。
2本でご馳走さま。
ドライバーが、きゃっきゃと笑っていました。
しかし、タイのトムヤムにしろ中国の四川料理にしろ、あるいは朝鮮半島のキムチにしろ、トウガラシがないと成り立たない。
トウガラシは、つい最近アジアにやって来た。
だから、それまでは、どんな料理を食べていたのかなあ、などと考えてみるのも面白いかも知れない。
それゆえ、古い中国映画や半島の映画に麻婆豆腐やキムチが出てきたなら、その映画はかなりいい加減な作りだと考えていいだろう。
あっ。映画で思い出したぞ。
確か今週末あたりにテレビ放送される“紀元前1万年”とかいう映画には、トウガラシを食べさせて仲間にするかどうかを見極めるシーンがあった気がした。
あの映画の設定は、エチオピアあたりからエジプトへの旅のはずだ。
だから、これも科学的にはおかしい。
でも、映画をそういう目で見てはいけないのだろうな。
ええ、映画ならかなりの矛盾でも目をつぶります。
しかし、いかにも正しいとデタラメを強要し、正論を封じこめるのは、テロリストでしょうなあ。
まあ、本物の国際指名手配テロリストを応援している先生もたくさんいそうですがね。今の大臣だのなんだのには。
すごい国になっちまいましたね。
夢の国とかおっしゃるなら、行ったまま帰ってこなけりゃいい。
そんなに嫌いなら打ち壊さないで、帰ってくださいな。
まあ、無理か。
甘い汁は吸い尽くす。
殺さぬ程度にいたぶる。
なんか、悲劇というより喜劇です。
はやくしないと手遅れだ。
もう、ずいぶんとマイナス進化していますがね。