
私は二重派
ずいぶんぎょうぎょうしい題名ですが、これは今許梨代(根拠無しよ)さんの講義の続きと思って、お読みください。
つまり、まぶたの付近にあるものに、唾でもおつけになりながら。
日本人は、よくモンゴル民族だなどと言われています。
確かに、赤ちゃんの時のお尻の青アザ、つまり蒙古斑は、多くの日本人に見られます。
また、言語的にはモンゴル語と日本語はいとこくらい似ています。
これは、中国語が英語に似た言語の作りをしており、日本語とは全く異なった作りをしていることを考えると、たいへん興味深いところです。
ただし、典型的なモンゴル民族は朝潮龍のようにふっくら顔に一重まぶたが多く、やはり言語的に日本語に近い朝鮮民族に似ています。
ところが、日本人、とくに京都を中心とした同心円で、その距離が離れれば離れるほど、二重まぶたの人の割合が増えていく傾向を感じます。
もちろん、これは明治維新後に日本人の移民が進んだ、北海道は除きます。
では、この二重まぶたの民族は、いったいどこから来たのでしょうか。
モンゴル民族や満州民族、あるいはシベリアに住む民族は、極地方を除けば最も寒い冬となる地方に住んでいます。
これらの地方では、冬に涙を流すことは生命の危機を呼ぶことになります。
また、二重まぶたであることは、その隙間に汗が入り込み凍ることになりますから、やはり好ましいものではありません。
では、二重まぶたはなぜ必要なのでしょうか。
これは高温湿潤な地方での、汗止めの役割をはたしているのです。
つまり、汗が直接目に入るのを防御する働きです。
ですから、日本人に二重まぶたが多いことは、従来の日本人が南方系民族であることを示唆しています。
稲の種類、風俗などを考えると、イザナキ・イザナミは、南洋から渡ってきた人々でしょう。
その原日本人ともいうべき民族は、現在は山奥に追いやられひっそりと暮らしているやに思います。
例えば、ラオスのラオ族、中国からタイ山間部のミャオ族、あるいは台湾の高地民族などのように。
これらはイザナギ・イザナミの子孫である、多くの日本人たちです。
ただし、アマノ系の新しい日本人は、これらとは全く違うルートに相違ありません。
こちらは、徐福のお膳立てした山東人、朝鮮フヨ族の末裔、イスラエルの一部族、アッカドから逃げたシュメール人、エジプトから逃げたアマルナ一派……。
いろいろな説がありますが、このあたりは別の機会に。