『信長と家光』 その4 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

もう、お前なら分かるじゃろ、信長の名前が。




ひょっとして、天海?



ああ、世間ではそう呼んでいるわな。




ちょっと待って。
パチパチ、パチパチ。

生国、誕生年不明ながらも、奥州会津・1536年説が有力。
天台宗・比叡山に……、家康を権現として霊廟を久野山から日光輪王寺に移した。さらに……。

ちょっと待って。
信長はと……。
パチパチ、パチパチ。

生まれたのは1534年か。

確かに、近いっちゃ近いね。
そういえば、天海は光秀だなんて本があったっけ。





ああ、知っとる。
が、それはちいと弱い。
家康は光秀とは肌があわぬ。
家康が師と崇めるのは、信長しかおるまいて。

さて、話を戻そう。


天台の僧となった信長は、秀吉を生き地獄へと送った。

いや、利用したと言ったらいいかな。

秀吉を利用して、天下武布を遂行する。




もう、わかんなくなってきた。
どんどん話を進めてよ。





うむ。

そうじゃな、信長の血がまっこと天下をとるまで、一気に飛ばすぞ。


まずは、さわりに息子の関白の話からいこうか。






はあ?
息子の関白?

なんだ、なんだ。
じっちゃん、信長に関白になった息子なんかいねえそ。





ふっふっふ。

今ならDNA検査とかあるがな……。





? ? ?






つづく。





★何人かの方は、息子の関白とは誰のことか、予想がついたかも知れませんね。

でも、これしきで驚いてはいけません。