もう、お前なら分かるじゃろ、信長の名前が。
ひょっとして、天海?
ああ、世間ではそう呼んでいるわな。
ちょっと待って。
パチパチ、パチパチ。
生国、誕生年不明ながらも、奥州会津・1536年説が有力。
天台宗・比叡山に……、家康を権現として霊廟を久野山から日光輪王寺に移した。さらに……。
ちょっと待って。
信長はと……。
パチパチ、パチパチ。
生まれたのは1534年か。
確かに、近いっちゃ近いね。
そういえば、天海は光秀だなんて本があったっけ。
ああ、知っとる。
が、それはちいと弱い。
家康は光秀とは肌があわぬ。
家康が師と崇めるのは、信長しかおるまいて。
さて、話を戻そう。
天台の僧となった信長は、秀吉を生き地獄へと送った。
いや、利用したと言ったらいいかな。
秀吉を利用して、天下武布を遂行する。
もう、わかんなくなってきた。
どんどん話を進めてよ。
うむ。
そうじゃな、信長の血がまっこと天下をとるまで、一気に飛ばすぞ。
まずは、さわりに息子の関白の話からいこうか。
はあ?
息子の関白?
なんだ、なんだ。
じっちゃん、信長に関白になった息子なんかいねえそ。
ふっふっふ。
今ならDNA検査とかあるがな……。
? ? ?
つづく。
★何人かの方は、息子の関白とは誰のことか、予想がついたかも知れませんね。
でも、これしきで驚いてはいけません。