『信長と家光』その3 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

そんな奇声を発するほどのことではあるまいよ。

放射性物質に汚染された野菜の安全な料理法とか、予算をカットしておいて優勝したとたんに褒めちぎるハレンチさに比べれば。


大阪と大坂。
まあ、ちっちゃなことだよ。それ自体はな。

問題は当時の正しい表現を誤りとし、答えを一つしか認めないこと。
こっちのが大問題さね。 つまり、一つの答えしか認めない。危険思想だな。
おっと、話がそれちまった。
何の話だったかな。





信長は江戸時代まで生きたって……。





そうじゃ、そうじゃ。
まずは、愛弟子光秀の話からはじめるか。





? ? ?

じっちゃん。
光秀に対して、愛弟子っていう言い方はないんじゃないかい。





ほう。
どうしてそう思う。
光秀と家康は、本当の弟以上に可愛いがっていたはずだが。






だってさあ、家康ならともかく、光秀は無謀人。
信長を殺した相手だよ。




何度言ったら分かるんじゃ。
信長は本能寺では死んでおらん。
人生四十九年とか舞った話も、後世の作り話。






じゃあ、どうして本能寺の変が、今まで語られてるの。

どうして、その後に信長の姿が、歴史から消えちゃったの。




はっはっは。
まだ、分からんのか。

本能寺の変は、虫の好かぬ秀吉の独走を抑えるための作り話。



えっ?

なにがなんだか分からなくなってきた。
えっ。




秀吉の独走って?




裏で毛利と手を組み、信長の命を狙いはじめたからよ。

秀吉の中国返し。
ありゃ、話が逆だ。

中国、九州の国々と手を結んで一気に信長を撃つ手はずだった。

それを察知した信長は、とにかく西国との盟約が成り立つ前に、秀吉を戻さなければと考えた。

で、出た答えが光秀の下剋上。

信長には辛かったろうな。とにかく一番信頼している部下に、汚名を着させるわけだから。
しかし、光秀はあっさりと頷いた。

本能寺の話を聞いた秀吉は、思った通り中国から引き返してきた。



が、ここで信長にも予想しえなかったことが起きた。
秀吉はすでに毛利と盟約をかわし終わっていた。

さらに悲劇は続く。

一番弟子、光秀の死だ。
これは誤算だった。



このため、しばらく信長は比叡山の僧となり、その時を待ったのさ。




じっちゃんよう。
比叡山っていったら、信長が焼き討ちした寺だろよ。
神仏を嫌った信長が、よりによって比叡山の僧になるはずながっぺ。






だから、それが信長のしたたかさよ。
もちろん、家康の支えもあったがな。




★★★ある程度江戸初期のことか家康に詳しい方なら、本能寺以降の信長の名前が思いつくはず。

ええ、あの方です。107歳まで生きたという。
信夫山あたりで生まれたらしいが、正体不明。
家康が死の間際まで従った男。
いや、家康の死後さえも徳川をコントロールした男。


でも、これだけでは面白くないので、あと少し歴史をひねります。
あっちへの毒も盛り込んで。





つづく。