
トマール猿人とかいうのではありませんが、日本にもかなり古くから猿人もどきが住んでいたことは、化石などからも分かっています。
一部はナウマンゾウ等を追って、まだ地繋がりだった大陸から来た人々でしょうし、また、一部は海流に乗り南の島々から来た人たちだったのでしょう。
ナウマンゾウ時代はよく分かりませんが、日本に文字が入ってくる少し前、つまり中国や朝鮮半島からの大量移民が始まる少し前までは、おそらく今のアイヌ、または南九州から沖縄にかけて住んでいる隼人など、南方系の民族の集落がまばらに広がる土地であったに相違ありません。
日本語の母音を含む発音が、ポリネシア系言語にほとんど同じことは、大変興味深いところです。
その後、大陸などからの移民が急増し、原日本人とも言うべき上述の民族は土地を追われ、現在に至ったのでしょう。
ところで、歴史で習う弥生人というものが、現代の日本人の祖先であると考えられます。
もちろん、東北の阿部、清原、藤原氏のように、旧日本民族との混血もいました。
が、平安、鎌倉と時代が流れ、やがて、北海道を除いて、ほとんど同一の言語を話す、日本、日本人が形成されていきます。
(北海道が日本と認識されるようになってから、まだ200年も経っていない)
幻想にしろ、江戸時代あたりには、はっきりと日本国という意識が定着しました。
聖徳太子時代に、国書を送っていると言われる方がいるでしょうが、当時の日本とは、せいぜい畿内程度。
天竜川より東、糸魚川より北は、まだまだ中央の力が及ぶところではなかったのです。
古事記などを見ると、かなり中央の力を誇示したつもりでしょうが、所々に独立国家的集落がたくさん存在していたであろう記述を探すことができます。
さて、なにはともあれ、今の私たちの多くは単一民族とは言わないまでも、日本生まれの日本国籍を持つ方ならば、日本人としての意識が自然とあるのではなかろうかと思います。
つまり、自分は地球人だとかアジア人だとかの意識とは比較にならぬほどの、日本人という感覚を持っているに違いありません。
日本が日本であり得たことは、世界規模で考えれば奇跡のようなものです。
アメリカやオーストラリアのように、かつては未知の海の中に発見された大陸であろうが、アフリカや中東のように人類、ならびに人類文明の誕生の栄誉ある土地であろうが、宗教と言う名前の蓑を被った欲が攻め入りました。
現在中国のある土地などは、何回、いや何十回国が変わったことか。
現在の中国も生まれて100年も経っていません。
いや、実質日本人の平均寿命さえ経っていません。
日本は、平安京あたりからは、今の日本人の国です。
戦国時代などがありましたが、とりあえず日本人が治める国でした。
世界の中で、1000年以上同じ民族と思われる者が、その国を支配してきた例を私は知りません。
中臣鎌子や不等人が、いかに頭がキレたかが分かります。
なお、私は天皇家は必要不可欠な存在であると思い、昭和天皇、今上天皇を尊敬する者ですが、2600年なにがしは信じてはいませんし、天皇家自体もイザナキやらイザナミ、いやいや天武天皇数代などは、光仁天皇と全く扱いが違うでしょう。
なお、私の人生で大平首相の最期の1ヶ月の戦いの中での凄まじさと同じくらい驚いたことは、今上天皇が桓武の母親、つまり高野新笠についてお話をされたニュースでした。
おそらく陛下は、自らの意志でお話になられたのでありましょう。
何も知らずに、右翼ぶってつまらぬことを吹聴している方々を、やんわりたしなめられることもあられたのでしょうか。
なお、天皇でさえ触れることができないものが、お伊勢様にあります。
皇居にあるレプリカが、本物そっくりの噂に聞くキズ模様があるのかどうかは知る由もないし、また知るべきではなでしょうね。
人には、知らないもの、畏れるものがなくてはならないのですよ。
民主とは民があるじ。
つまり、民が神にさえなりうるのです。
民が主ということは、衆が主という意味ではないですよ。
私も神や仏は理解できない信仰心のない人間ではあるが、名前は綿飴でも、畏れを知らない政治には反発を感じるんですなあ。
きれいごとなら、誰でも言えるだわさ。
実態はどうなんだべか。
そう思うのでごんす。
ずいぶん長く、また、話があっちへ飛び、こっちへ飛び、まとまらなくなってきちまいました。
一休みすんべっと。
