私の家は子どものころは、けして経済的には恵まれてはいなかった。
また、いろいろな面で豊かではなかったと思っていた。
大人になって相当経つまで、外の世界を知らなかった。
いかに、自分が豊かな環境にいたかということも。
いや、今考えても、けして経済的には豊かではなかった。が、心は豊かであった。
一方で、全く別の世界があることを知らなかった。
だから、ある尊敬する方の話を聞いたときは、ずいぶんと偏った考え方だとか、ひねた考えだなとか、そりゃ差別だよ、とか感じたりもしたものだ。
が、30を過ぎて、私は生まれて初めて、自分の常識とはかけ離れた、あるいは、私の人生観からは犯罪的なことをごく当たり前に行う世界がある、そういう人たちもいるということを知った。
しかも、良心の呵責とかは全くないかのように。
それがあたかも、当たり前であるかのような世界。
これはショックであった。
たぶん、一生を日本で暮らしていたなら、けして知らないであろう世界を。
自分がいかに純粋培養に近い環境で生まれ育ち、また学舎も自分に似た集まりであったかを、初めて知らされたのだ。
身の毛もよだつ、あるいは、小説の世界がそこにはあった。
それからの私は、いろいろなものの見方が変わった。
それまでのように表面だけで、言葉だけでは物事を見なくなった。
若い時の自分が、尊敬しているにも拘らず意外な言葉に疑問を抱いた、あの先輩のそれに近いものになっていった。
私の父は、私にとっては神様級の善人である。
人生を100回繰り返しても、とても追い着けはしない。
が、この知識と経験だけは、おそらくオヤジよりはある。
いや、普通なら知らなくてよい、しなくてよい知識と経験だろう。
東北は、今夜も冷えそうだ。
10日ぶりに2人が救出されたという。
すごいなぁ。
あのオヤジさんの“普段は言わないが、よく頑張ったと言ってやった”の言葉が奧の方にしみ込んだ。