全痴内愚なる僧の阿闍梨になりとうあるがくぎゃうに入るべしとて仏につかへる身にはあれど武須梨務の羅麻陀無なるをはじめることありけり。
羅麻陀無なるはひとつきあまりものはくらはでただただねんごろに日暮らし武須梨務の神仏を念づるものなり。
内愚もひねもす水さへとらずにありけるが誰ぞ彼時を過ぐれば般若湯ぼたんさくらなどをあまた飲みくらひてぞありける。
かかるを見てわきなる僧のいふやふ。
かかるはしゅぎゃうにあらず。かへりて仏の道にとほのきゆめゆめ阿闍梨にはならぬぞかし。
内愚のこたへていはく。
昼は無飲無食の行夜は強飯の行をおこなふ。
一日一夜にふたつの行をすればさらに阿闍梨への道は近しとなむ思ふ。
うたてしやとなむ皆の笑ひけるとぞ。
されどかかることはへいぜいのよならずともちらりほらり見ゆることにやあらむ。さすれば内愚をあざわらひけることこそうたてしからめ。
