例えば、Aさんが町のかけっこで一番になり、鉛筆をもらったと言う。
と、それは嘘だとBさんが言う。
ところが、Aさんが雨の日にどぶにはまった、と言う。
と、それみたことかとBさんが笑う。
ここで、Bさんについて考えてみよう。
最初の話はAさんを信じていないが、後の方は信じて感想を述べている。
つまり、BさんはAさんのことを、信じていないことがあったり、完全に信じ切った上で話を進めている。
矛盾しているわけだが、気づいていない。
信じる、信じないの基準は、“自分の心にとって、都合がよいかどうか”あるいは、“相手が、幸か不幸か”ということだ。
早い話が、真偽を気分で判断している。
が、意外にこうしたことは多い。
学生時代までは、幸か不幸か、こうした世界は知らなかったし、嘘だらけの世界というのは、さらに10年くらい経つまで知らなかった(いや、知らないのが当たり前か?)。
うーん。
なんともはや、世間知らずですなあ。
蛇足になるが、先に挙げた自己矛盾に気づいていない例は、このアメブロの中にもあり、よく私や他人の名前(まあ、ハンネですが)を使って意味不明のコメントをされる方も、そうした方の1人であろう。
哀れだとは思う。
以前は、相手は病気だから仕方がないと思っていたが、最近、考えが変わってきた。
