【小説】パラヤン星における常識・非常識 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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いや、この題名には問題がある。

この題名を読むと、いかにもパラヤン星人全体に関する常識・非常識の話に思えてしまう。

が、実は違うのだ。

パラヤン星で会った、ある1人のパラヤン星人についてであり、パラヤン星人全般に言えることではないことを、初めにお断りしておきたい。




つまり、以下に“パラヤン星人”とあるものは、“とあるパラヤン星人”と読み替えて欲しいわけである。
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パラヤン星人には、盗むという言葉がない。また、借りるという言葉もない。
そこに欲しいものがあった。だから取ったというだけである。
野道に咲いた花を折るよりも、心が痛まない。
いや、そんなことで心が痛む理由がない。


パラヤン星人にとっては、行く手を邪魔するものを取り除くのは、当然である。
だから、地球のように信号機の色に従って待つことほど、馬鹿らしいことはない。
自分が歩むときには、信号機の色を変えるか、交差点にいる車や人を消すだけである。




飯は自分だけ食べられたら、後は野となれ、山となれ。

いや、お腹が空いたなら、パラヤン星人は、親はおろか、子どもの飯を食ってしまうのは、常識である。


この光景を見たときには、あまりの驚きに、言葉を失ったものだ。



パラヤン星人は、嘘と言う言葉を使わない。

いや、正しくは、嘘という言葉は、自分に向けられるものではない。
別の言い方をすれば、嘘は自分は決してしないから、自分に向かって、“嘘つき”呼ばわりする者には、何をしても許される。

という考えで、行動をする。

ええ、食い物同様、誰に対しても、“何をしても”よいのである。



地球で行われる、悪評高い、痴悩テストの値は80程度であるが、パラヤン星人にとっては、天体一、二を争う痴悩であり、例えば、地球のフォックス・フォトとか、キャンプ・リッチ、あるいはハーパートといった、一流と呼ばれる学校などはいつでも入ることができる自信にあふれている。


地球流に言えば、自分の意に反するものは、あるいは思い通りにならない場合には、誰であろうと、何であろうと、したいことをしてかまわない。

これが、私が見た、とあるパラヤン星人の実態である。



実は、以前似た話をある人から聞いたことがある。
まだ、何も知らなかった私は、その先輩を少なからず軽蔑したものだ。


なぜ、そんな見方しかできないのか、なんと差別的であることか。

また、そう見えてしまう先輩の悲しみみたいものを感じた。

そう、私はその時には、そんな話をした先輩にがっかりしたものだった。


が、こればかりは経験しないと信じられまい。


とにかく、地球の常識・非常識とかは、意味をなさないところなのである。


もちろん、なんとか観光などで、分かるはずがない。