日本の歴史七十七不思議:徳川8代将軍吉宗 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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日本の歴史には、卑弥呼や天武など不思議がいっぱいだ。

この徳川吉宗も、日本の歴史七不思議には入らないが、七十七不思議の一つには入れてよいだろう。


とにかく、徳川家の一族だったとはいえ、新之助、後の吉宗が将軍になれる確率は、1%どころか万に一つあるかないかの出来事だったからである。


新之助は、北陸の小藩の藩主(藩主とはいえ、実際には郡の長官レベル)で終わる男だった。いや、小藩とはいえ藩主になれたこと自体、たいへんな幸運と長老の計らいによるものだったのだ。

つまり、後の8代将軍吉宗は、紀州藩の居候で一生を終わるのが、普通に考えられる成り行きだったのである。


ところが、紀州藩の藩主になるべき長兄たちが相次いで夭折し、あれよあれよという間に紀州藩主が転がりこんでくる。

さらに、お江戸の将軍家に、跡継ぎがいなくなってしまう。

ここで普通なら、徳川御三家では最上格の尾張家に話が回るのだが、尾張家にもふさわしい者がいない。
高齢者に家康ゆかりの者がいたが、どうも取り巻きが画策したらしく、新之助が、なんと将軍に収まってしまったのである。


この話を現代風にしてみると、こんな風になる。




東京に本社のある大企業の会長の遠縁が、四国・九州統括支店長をしていた。


この支店長が、よく通っている店の新入りに手を出し、子どもまで作ってしまった。

あまり表沙汰にはしたくはないが、年がいってからの子でもあり、支店とはいえ本部長や部長をしている実子と比べて不憫になり、本社役員に話をつけて、北海道留萌支店の支店長にさせてもらった。

この、コネでなんとか留萌支店長になった男がやがて、この企業全体の社長となるのである。


アメリカン・ドリームとかいう言葉があるが、この話は、それに負けてはいない。









吉宗が将軍であった18世紀前半は、小氷期がやっと終わった頃だった。

火山の噴火による、太陽光線の減衰から起こる冷害などによる飢饉も、たまたまなかった。





この時代だろうと思われるが、“畑が飛ばされる”という表現が使われている。

初めて聞いたときには、その意味が理解できなかった。

これは強風で、種をまいた畑の土が種もろとも、あるいは苗もろとも、風に飛ばされてしまうことを意味する。


耐寒種のイネがなかったから、山あいや東北の一部では、ソバやヒエの類いが主要な穀物だ。


これらが飛ばされるとどうなるか。
考える必要もあるまい。










畑から飛ばされたヒエの種が、日本の歴史を変えた。



そんな話である。