江島生島事件 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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これはmomoさんの専門分野。
ですから、間違いは指摘してくださいな。


徳川八代将軍と言ったら、テレビドラマ“暴れん坊将軍”で有名な吉宗です。

吉宗は、本来なら、将軍はおろか藩の殿様にもなることができない人でした。

とにかく、紀州藩の四男。かつ、母の身分は当時としては藩主にはふさわしくないものだったからです。


さて、このせいぜい郡の主レベルであった吉宗が将軍になった裏には、江島生島事件というスキャンダルがあったのです。


江島とは大奥の御老寄。
この方が、当時人気の生島の歌舞伎を見て、江戸城への帰りが遅くなり、門限に遅れてしまいました。

当時、大奥のお女中が舞台を見て多少遅れるのは、門番もお偉いさんも見て見ぬふりだったのです。
が、反対勢力からのやんややんやの声に、江島生島とも遠島となり、これに関わった数百人とも数千人とも言われる人たちが、兄の斬首(当時の武士としては、切腹が許されず、この上ない恥)など、なんらかの罰を受けています。


江島は罪一等を減じ(その前に既に一等を減じ)られ、信州に渡り住むこととなりました。
(確か別所温泉近くの、さえない山の中に、こじんまりとした墓があります)



この江島の追放で、その監督役でもあった月光院(七代将軍家継生母)も力を失い、反対勢力天英院が力を持ちました。



この天英院が八代将軍に推したのが、吉宗です。
(四男吉宗の兄、父は相次いで死去している)




と、はるか昔の話をしてしまいましたね。



でも、素直ではない(笑)ブロガーさんなら、私が昔話だけではないことに気付かれているでしょうね。