15世紀後半、彼らにとっては新大陸である、アメリカ大陸発見に沸くヨーロッパ。
彼らは、神の存在を、その幸せを、新しき仲間たちに伝え救うという名目のもとに、兵士と宣教師を新しい土地に派遣した。
昔からあった白い人(=神)の到来と、馬を知らぬ原住民、さらに黒人に畏怖することを知った西洋人たちは、これらを十二分に利用し、金を搾取していった。
これは、そんな時代のある宣教師と“神”かも知れない“そこにあるもの”との会話を、2012年12月23日に発見された羊皮紙記録をもとに再現したものである。
なお、このニュースは陰智記通信により、全世界に配信されたから、皆さんもご存知かも知れない。
が、改めて、ここに全文を掲載するものである。
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私は罪を犯したのだろうか。
いや、そんなはずはあるまい。 私は神のご意志に従ったのだ。
そうだ、神はあのような印の存在を認めるはずはないのだ。だから、私は彼らの神の社に記された、あのマークを消したのだ。
“汝は、本当に正しいと思うのか?”
初めは、空耳かと思った。
その声の主は、姿は見えないが、明らかに“存在”していた。
“あなたは、どなたですか?”
私は素朴な質問をした。
“かつて、そのような問いをしたものがいた”
“はっ!”
しばらくして、体が震えている自分に気づいた。
“もしや、三位一体の……”
“呼び名などはいかようでもよかろう”
私は確信した。
嬉しさに体の震えが止まらない。
“汝、本当に正しいことをしたと思っているのか”
その存在が、もう一度聞き返した。
“はい、それが神のご意志と思います”
“ほう、なぜ神とやらの意志がわかる?”
“神は、まずアダムを作られ、その一部からエワを作られました。それはアブラハムから数えて6000年前のこと。ですから、それより古い人はいなかったはずです”
“ほう、それで”
“奴らの村を訪ねて不思議なことを知りました。今の奴らは、金細工は得意ではあるものの、暮らしぶりはけだものです。ところが、古い遺跡を調べれば調べるほど、彼らの文化、技術は高くなっていくのです。さらに、あろうことか、奴らはアダムが作られる前の人の記述を、あの石碑に彫っていたのです。それだけで、十分に重大な罪です。さらに、あろうことか、宮の奧にはあのマークを飾っておりました。ですから、これは当然打ち壊し、人に見せるべきではないと思ったわけです”
“では、汝が神の意志に反すると、勝手に決めたのではないか?”
“私が?勝手に?……。”“……、いえ、けしてそのような……”
“汝の自分勝手な思い込みではないなら、なぜに隠した?”
私は答えに窮した。
体が急に重くなり、その後のことは記憶にない。
私は今、消し去った石碑の絵、いや、これが文字であることは知っていた。しかし、当分の間はバチカンには伝えられまい。しかし、遠い将来のため、また、あの存在のために、何がこの地にあったのかを記すものである。
まずは、彼らの祖先が用いていた数学の話から始めよう。
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この続きは、2332年正月号を見てくださいね。