本当に幸せだったと思っている。
日本にだって、へんなことは確かにある。
が、日本人が変だというレベルは、実はたいへん小さなものに思える。
私はたぶん、平均的な(なにをもって平均的というのか、という自己矛盾はあるが)日本人の方よりは、ほんの少し異文化に接する機会を賜わった。
だからこそ、一層日本が恋しい。また、好きなのだろう。
ただ、最近、少しずつ、私の愛する日本が、巧妙に、微妙に変質しはじめているように感じてしまう。
ボケ爺の杞憂に終わることを、切に望みたい。
右とか左とかいう考えや見方は、私にはよく理解できない。
が、愛を語るだけで現実社会が平和になるとは、到底思われない。
もちろん、それが理想であることは分かる。
が、現実がそれほど甘くはないことも、多少は知っている気になっている、私なのである。
なお、これは全く話が変わるが、ブログ上でくらいは、また、個人レベルでは、ギスギスした関係には頭を傾げるばかりである。
現実社会がギスギスしたものなら、せめて仮想社会であるブログの上でくらい、あと少し大人になれないのかなあ、という場面を見てしまうこともある。
まあ、見方によっては、それこそ甘ちゃんだよ、ということになるのだろうなあ。