古代遺跡:銀座考 2 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ニッポンにおけるギンザの特異性は、パッチンコにおいて、極めて特徴的である。

どういうことかというと、ニッポン各地に見られる、パッチンコという建造物が見当たらないということである。


このパッチンコという謎の建造物に関しては、多くの論文が提出されており、読者の皆さんも名前くらいはお聞きであろう。


ここではまず、主な説を挙げ、その問題点を指摘した後、私の推論を述べようと思う。


★パッチンコ建造物の諸説
①宗教施設説(チャカチー女史など)

極めて特徴的な顔を持つ肖像画などが、各々の発掘現場で発見されているのが根拠となっている。また、無数の数珠も、宗教施設であることを示しているというものである。

しかし、当時のニッポンに、全国的に広がる宗教があったとは考えにくい。
また、肖像画をキャラと呼んで敬っていたなどとしているが、これにはなんら根拠がない。
パッチンコ建造物を宗教施設と考えるのは、我々がバランス感覚を養うのに使うトリイや、力比べに使うコマイヌを宗教設備と考えるような、荒唐無稽な考えであろう。




②兵器庫説(ジョウチューナー氏など)

無数に発見される数珠玉は、兵器として使われたのだ、とする説。

大変魅力的な説ではあるが、それほど部族間の戦いが多かったならば、パッチンコ建造物の外部にも武器である数珠玉があるはずだが、今のところ発見されていない。
今後の調査如何では、この説が正しかったとなる可能性もあるが、現在までの発掘結果では、この数珠玉兵器説は受け入れ難い。



③競技場説(ゴーホック氏)
数珠玉を使って、何らかの競技をしていたのだ、というものだが、ニッポン各地にあれほど多数の競技場があることは常識的に考えて、あり得ない話である。設置数からして、ほぼ全国民が複数の競技場を利用していなければならない。そのようなことをしていたなら、国は滅びてしまうだろう。
誰が考えてもおかしいと感じるはずだが、年配者の多くは、これを信じるようである。もちろん、学界では奇説として、話題にもならない。






さて、それでは私の推論を述べよう。


パッチンコ建造物は、教育施設であったろう。

数珠玉は、数学の授業に使われたものであると考えられる。
というのは、このパッチンコ建造物内部には、777に代表される一定の数字を表示した看板が複数発掘されている。
また、室内に整然と配置された椅子は、そこにいた者に対して、極めて厳しい管理を行っていたことが明白である。


なお、詳細は省くが、数珠玉が何らかの経済活動に関与していたとする説や、娯楽施設説があるが、あまりに根拠がない説であろう。




ギンザに、これらパッチンコ建造物が見られないことは、まだ推論の足掛かりさえできていない。





参考文献
輝王ブログ 200912280824seia-RUKAG.iRi