
小生は慶応の生まれ故、女子供に金を払わせる男などは、豆腐の角に頭をぶつけるか、暖簾を開けるのに戦車でも用意させた方がよいと考えるものである。
かく言う小生も、先日の六名勘での食事の折は、いささか苦い顔をしてしまった。
六名勘の名前から受ける印象に相反して、此処は西洋料理なるものを出すところである。
あの白いご飯をフォークなる、三股の槍のようなものでいただくのは、八十八なる手を経てできたお米に対し、無礼この上なきものとは感ずるものの、これも時の流れ、致し方ないのやも知れぬ。
さて、六名勘にて食事をするにあたり、さるご婦人がおっしゃられた。
“わたくし葡萄酒をいただきとうございますわ。よろしいかしら”
よろしいも何もなかろう。
ここで、“いや、困りまする”なんざ言ったなら、三代の恥。
閻魔様にお会いした後、ご先祖様に合わせる顔がない。
と、出てきたものは、忍ばすの池の葦草の中に百年くらい捨て置かれたと思われるような、汚らしい瓶。
およそ、五合くらいの酒が入っていると思われるものだった。
給仕が、ひどくもったいぶった仕草で、瓶の栓をしている鉛皮をはがし、なにやら朝顔の蔓のように、ぐるぐると螺旋になった金具を取り出す。
それを鉛皮の下にあったコルクにねじ込む。
正直、小生はこの時点で食欲をなくしてしまった。
ねじ込み金具をそろそろと引き抜く。
ぽん、と小さな音がして不思議な臭いが鼻をついた。
と、何ということか。
給仕は、そのぼろぼろになり得体の知れぬ臭いを発しているコルクを、小生の鼻元まで持って来たではないか。
“取れ、取れ、盆”
小生は、恥ずかしくもむせてしまい、そのコルクを手に取り、給仕に押し返した。
さらに、コルクを盆と言い間違いまでしてしまった。
すると給仕は、満足そうに席を離れた。
あれは、小生へのいたずらに相違ない。
その証拠に、笑顔さえ見せていたではないか。
さて、ご婦人はギヤマンの茶碗に注がれた葡萄酒を、ぐるぐると回し始めた。
へんな趣味をお持ちのようだ。
酒を飲む前に、子供の水遊びのようなことをなさる。
小生は八海山にしたかったが、ここはご婦人に付き合って、その鉄さび色の葡萄酒を試してみることとした。
ぎゃあ!
なんだこれは!
やっぱり腐っているではないか。
馬小屋の干し草と、犬の臭いがする。
はぁ、小生はあやうく声を出すところであった。
が、さらに驚いたのは、お勘定であった。
何と50円もする。
小生の月々の実入りは、30円である。
さらに、一食に30銭以上かけることはまずない。
その折は、かのご婦人が一緒であれば10円ほどは懐に入れておいたものの、さすがに、このお勘定には参った。
後に書生に持たせる故とことわり、あわてて甕の中から銭をかき集めたしだい。
しかし、わからん。
あのような犬臭い葡萄酒の、どこに50円の価値が有るのやら。